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医療通訳 · 2023/11/27

「誰のために英語を使うのか」

私はいくつかの大学で非常勤講師として英語に関連する講義を担当しています。その中に、医療通訳者としての経験から声をかけていただいて担当している医学科2年生の医学英語という科目があります。私の仕事を医学生に知ってもらうために、毎年Stanford School of Medicineの『Working with Professional Interpreters』という動画を使っています。 https://www.youtube.com/watch?v=Uhzcl2JDi48

この動画の4分50秒くらいから6分45秒くらいまでに、中国語しか理解できない母親(患者)のために息子が医師の説明の通訳を行うシーンがあります。このシーンを見せて、問題は何か、どのような解決策があり得るのかを毎年学生に考えてもらっています。

皆さんご想像できるかと思いますが、専門のトレーニングを受けていない息子には正しい通訳ができず、医師と患者との間のコミュニケーションがきちんと成立していません。通訳者という視点から見ると、医療通訳はトレーニングを受けた人でなければ正しく行えない、と私は考えます。ところが、学生たちは全員が医師に問題があると指摘し、患者親子には問題がないと考えています。医師がもっとゆっくりと話し、息子が正しく理解できているか途中で確認をすべき、図を使って英語がわからない母親にもわかるような説明をすべき、翻訳アプリ等の活用も考えるべき、など様々な意見が出ます。近い将来自分も医師になる立場から、医師が改善できる点を考えていくのは正しいことですし、希少言語など家族以外にことばが通じる人がいないというケースも想定されるため、自分だったらどのようにこういった問題を乗り切るのかを考えるいいきっかけになるようです。

また、講義の中では自分の経験も学生に紹介します。自分が経験したことを、患者さんの国籍や年齢、性別、症状などを変えながら、医師が日本語で話した内容を私がどのように通訳をするのかを具体的に見てもらいます。まず医師の説明を学生が各自英語に訳してから、私が「医師が伝えたい内容を患者さんに理解できるように伝える」ために、どのように現場で英語で伝えたのかを示して、学生たちには自分の英訳と比較をしてもらいます。私の英語が直訳になっていないことが多く、最初は戸惑うようです。「私の今までの人生では、日本語を英訳するときはできるだけ難しい単語と文法を使って正確に訳すことが正解でした。でも、今日の講義を通して、患者さんが理解できるためには必ずしもそうではないことに気がつきました。」「単なる英作

文ではなく、相手のために英語を使うというのは考えたこともない新しい視点でした。」「こういうのが生きた英語なのだと思った」という感想を寄せてくれた学生たちもいました。いったんコツをつかむと、患者さんに理解しやすい上手な説明ができるようになる学生がたくさんいます。将来が楽しみになるほどです。

英語以外の言語では難しいのですが、医療通訳者の立場からのアプローチで学生のモチベーションが上がるというのはとてもうれしいことです。単発的な講義も含めて、こういった取り組みが今後広がることを願っています。(SK)

 

医療通訳 · 2023/11/04

「もし私があなただったら」

私は以前インターナショナルスクールでスクールナースをしていた時に医療英語に苦労し、のちに医療通訳の存在を知りました。また家族で数年海外生活をした時には、クリニックで日本人患者さんの通訳をする経験をしました。医療現場の通訳の専門性と必要性を痛感したことで、医療通訳の普及と同時に外国人診療に携われる医療者の育成を願うようになり、今は医療系専門学校で講師をしています。

医療倫理の安楽死や尊厳死といった重いテーマを取り扱う時に、私がよく使う言葉があります。それは「もし反対の立場だったらどうだろうね?」という問いかけです。延命、人工呼吸器、臓器提供の選択などを考える時、学生たちは意外にあっさりと「自分はこうする。迷わない」等と答えます。そんな時に、「じゃああなたがそれを言われる家族の側だったらどうだろうね」と問いかけると、学生たちは「えー?」と悩み始めます。「逆の立場だったら、いやかな」と意見を変える学生もいます。コミュニケーションのクラスでは、医療者役と患者役を入れ替えながらクレームのロールプレイを行います。逆の立場を経験することで、相手の気持ちを理解しようとする試みです。

医療現場で大切だと言われる「共感力」ですが、ジェラード・イーガン(注1)は「相手の心の世界に入って理解しその理解したことを相手に伝える」事を基本的共感と述べています。この「相手の心の世界に入る」には、自身の想像力をしっかり働かせなければなりません。「もし私があなただったら」今どんな気持ちなのだろう、と想像し続ける力が必要です。相手の立場に立つ、

当たり前のように聞こえますが、これは学生のみならず私たちにとっても実際はそんなに簡単ではありません。

目の前にいる患者さんが、耳が遠い人だったら。目が悪い人だったら。足腰が弱くて体の痛い人だったら。不安を抱えてひとりぼっちで座っていたら。そして、言葉も文化も全く異なる国の人だったら。もちろん完璧に相手の状況を理解する事はできませんが、可能な限り相手の世界を知ろうとする姿勢の中に共感は芽生えると思います。

10代20代の若い人たちと話していると、多種多様な考え方や生き方に関してはとても寛容で柔軟な印象があります。ただ一方で、相手の考えに深く思いを寄せることや、相手の心に接近していこうとする姿勢は時に弱く感じます。「自己責任じゃないですか」「いいというならいいんじゃないですか」とあっさりと関係に決着をつけてしまう前に、立ち止まって「もし私があなただったら」と問うて欲しいのです。共感は最初から持っている特性ではなく、訓練により身に着けていく技術だと思っています。

共感のある世界は、相手のニーズに敏感に気が付く世界であり、力を貸そうとするやさしい世界です。医療者も医療通訳者も、このやさしい世界で患者さんを受け止められることができればと願いつつ、私自身も「もし私があなただったら」といつも問える人でありたいと思っています。 (NH)

(注1) ジェラード・イーガンはアメリカの心理学者、哲学者でロヨラ大学名誉教授。引用元:看護学生のための心理学第2版 (長田久雄編 医学書院 2016 P162)

 

医療通訳 · 2023/07/26

患者になって思ったこと

変形性股関節症で4月に手術をしました。

硬さが気になり始めて十数年。痛みで椅子に座れない、寝ても、起きても痛む状態になり3年半。痛みが薄らぐ頃には、骨棘形成や筋力低下が進み、股関節可動域制限を代償運動で適応しようとします。股関節症は全身の骨格の歪み・筋力・気力・内臓の機能低下につながる。これが実感です。

骨折ならば待ったなし。ところが、骨格的な変形に伴う慢性疼痛・可動域制限の場合、手術か否かは患者自身が決めます。医療機関ではX線画像等

の結果を受け、股関節の状態と人工股関節の耐久年数から、手術をしてもよい年齢だというお話があります。

その説明を受けても、患者は、保存的療法で、まだ頑張れるのではないか、自分の努力が足りないのではないかと様々な情報を求め、治療院や教室に通います。手術に踏み切る決心は簡単につくものではありません。その間、患者は社会的な活動、仕事や交友関係の変化に悩み、時には鬱に陥りながら長い期間を過ごします。生活を大きく左右する出来事です。

このたび、信頼できる医療機関、医師はじめ多くの医療従事者の皆様の献身的なお仕事のお蔭で、今、新しい股関節となり、生き直す気持ちで毎日を過ごしています。入院中、看護師の皆さんが診療、リハビリ、服薬、食事、社会資源など各部署との連携のかなめとなり、患者を支えてくださっていることも理解できました。

また、同時期、股関節手術を受けた方々とLINEグループができ、情報交換ができるようになり、孤独に陥りやすい中、大きな支えとなっています。

私は、自身の疾患を通して、初めて、患者さんの気持ちを少し理解できたと思いました。そして「これが日本語を理解できない外国の方だったらどうなっていただろう。」と様々な場面で考えていました。

医療機関は患者の意思を尊重しながら最適な治療を目指します。患者は疾患はもとより、それにより生じた様々な環境の変化や悩みや迷いを抱え医療機関を受診します。そして、通訳者はプロ集団である医療従事者と患者の凝縮された診療の場に立ち会います。

「患者は勉強しに来るのではない。助けてほしくて病院に来る」 ある医師の言葉です。

通訳者は、患者が必要とする情報や伝えたい情報、医療機関が提供したい情報の双方の意味を理解し、必要とされる配慮が何であるかを考えながら、その場に立ち会うことが必要です。

「患者が理解できる通訳ができているか、その上で患者がその内容を受け止められているか。」そういうことに配慮できるよう、通訳者として十分に準備をしなければならないこと、学び続けることの大切さを改めて思い直しています。(H・M)

 

医療通訳 · 2023/05/28

医療通訳者の「筋トレ」

目の前で意味の分からない言葉で患者さんが話をしているという場面に居合わせたことはありますか。普段医療の現場で通訳をしている私たちにとっては、このような状況に置かれることはあまり多くないと思います。

私は通訳以外に、コーディネーターとしてこのような場面に立ち会うことが時々あります。最初は、この単語は本当に正確に訳されているだろうか、今の医師の発言は分かりづらかったが通訳者はちゃんと伝えてくれているだろうかといらぬ心配をしたり、少し不安になったりすることもあります。だんだん通訳者を通して意味が通じていっているように思えてくると、少しずつその場にいる通訳者への期待が高まっていきます、きっとうまく伝わっているはずだと。そして自分が発言者になる場合にはできるだけ通訳者に分かりやすく伝えようと、曖昧な表現を使わないようにしている自分に気づきます。と同時に、通訳者の立場に立ってあれこれ考えを巡らせる瞬間が何度も出てきます。もし自分が通訳をするとしたらどう訳すだろうか、今の単語はどう訳したらいいんだっけ、この場合はあの動詞がしっくりくるぞなどなどと考えます。

逆に、たとえ目の前で話されている外国語が自分には分からなくても、通訳者の態度が落ち着いている時や、話の流れがスムーズに運んでいく時などにはだんだん不安が解消されていきます。通訳者が信頼を得ていくプロセスがこうやって見えてきます。

自分には分からない言語で話が進んでいく場面に立ち会ってみると、医療従事者にもきっと自分が感じたのと似たちょっと不安な気持ちが最初はきっとあるだろうと想像できます。その分通訳者への期待が高まっていくのだと思います。

そのような期待に応えつつ、患者さんに安心して医療を受けてもらうために、私たちは常に学んでいます。自分が通訳することだけではなく、研修や、上記のような現場で他の通訳者が通訳をしている場に居合わせることも学びになります。よい刺激にもなると思います。色々な機会を活用して普段から医療に関する情報に触れていたり、外国語を使っていたりしないと、体がなまってしまうような感じがします。そのような点では、普段の学びは私たち通訳者にとって毎日のストレッチや筋トレのようなものかもしれません。

NAMIでは今年度もCHIP研修が始まりました。各領域の専門の先生方の講義を聴く機会と、各言語グループに分かれてのロールプレイ(語学演習)が設定されています。先生方のお話は、解剖の基礎から疾患の特徴までが網羅されています。各領域の基本をまとめて学ぶことのできる貴重な機会です。語学演習は、これほど多くの言語が集まって医療通訳研修が行われる場はほかにはなかなかないと思います。

様々な言語の医療通訳者が集まって皆で「筋トレ」ができるこのような研修の機会を是非多くの方々に活用してほしいと思います。普段一人で行っている「筋トレ」を皆で行うと、新しい気づきが得られますし、何よりシンプルに楽しいです。(YN)

 

医療通訳 · 2023/02/27

NAMI春の陣

今日(2月25日) NAMIの定期総会が無事に終了しました。

2016年12月にNAMIが設立されてから医療通訳も大きく様変わりしました。認知度は向上しましたし、研修の機会も増えました。設立当初の目標は、「日本の医療通訳者像をみんなで一緒に作り上げる」でしたが、通訳像も徐々に形作られてきたように思います。ただ、形に歪みも見えてきました。これからはその歪みを修正していくのも我々の仕事のように思います。

ここ数ヶ月間理事会では、去年の活動を振り返り、また今年度の活動内容を議論しました。その中でいくつか重要な点が見えてきました。まず一番大事なのは、通訳者の質と地位の向上です。地域の在住外国人支援、院内通訳、インバウンド(医療目的の来日、観光客)等どの分野で活躍する通訳者であっても、安定した質の通訳を提供することは、通訳の高い評価と信頼につながります。逆に、悪い体験をしたクライアントは、2度と通訳を使おうとしないかもしれません。そのためにもトレーニングを続けていくことは必須です。

そこで今年はCHIP研修だけでなく、修了生(レベル)を対象とした専門・ステップアップ研修を単発で夏ごろに開催できればと思います。具体案はこれからですが、決まりましたらご案内をしますので、是非ご参加ください!

医療通訳の存在をより多くの医療従事者や若いみなさんに知っていただくことも大事だと考えています。通訳を利用するメリットは何か、通訳者の業務範囲は、通訳を介した上手な診察方法とは・・・知られていません。大学や病院などでユーザーを巻き込んだ講習会ができればいいなと検討しています。「うちで開催して欲しい!」という方がいらっしゃいましたら是非NAMI (national.interpreters.nami@gmail.com) までお知らせください。

また医療通訳システムの導入支援も忘れてはいけません。地方自治体は、地域に合う通訳制度を導入することが大事です。そのためにNAMIができる支援は何か、を考えます。

医療通訳のテーマはいつも同じ・・・と思われるかもしれませんが、確実に内容は進歩しています。諦めずに、現場とアカデミアから当局や関係者に訴えかけていきたいと思います。(NM)

 

医療通訳 · 2022/12/21

医療通訳制度普及のための活動を思う

地域で医療通訳制度の普及活動を続けてきました。活動当初の記録を読み直し、続けることの難しさを感じています。日本の医療通訳制度普及が進まない話をするとき、同じ話が繰り返されます。

「日本は難民を認めていないから法整備も財源確保もできない。」「外国人だけ特別扱いするのはおかしい。」「人権」では制度の普及を説得するには「弱い」。自己責任論。など、できない理由は続きます。

制限の中にあっても制度普及のためのさまざまな努力は続いています。通訳者の質を確保し、医療機関での通訳実習が行われています。AI技術の進歩はめざましく、電話通訳業サービスの拡がりは稀少言語も含め地域格差ない通訳サービスの普及に貢献しています。

また、地域によっては、医療通訳がかかわる様々な分野で連携が進み、講習会が開かれています。一方、有志による医療通訳活動がようやく始まったという地域のニュースも聞きます。医療通訳制度を語るとき、概論も大切ではありますが、様々に異なる地域の現状も同様に理解し、政策立案につなげることが必要です。

今、コロナ禍の中にはありますが、外国人旅行者の入国が再開され、また、技能実習制度の見直しが始まります。国内外の社会情勢の変化の中で、建前と実情の乖離など様々な矛盾をかかえながら前に進もうとしています。

医療通訳は人権問題。医療通訳制度も、医療機関や外国人、そして医療通訳者が現場からの声を上げ、関係者に伝え、話し合い、課題解決、制度確立につなげることの大切さを、今、改めて思います。

はじめにあるのは制度ではなく人間です。医療通訳制度普及が財源不足、法的根拠の不在にある中、是非、技能実習制度の見直しが始まるというこの時期に、人権擁護の観点から横断的に同時に論じることができれば、ひとつの突破口になるのではないかと思うのです。

また、医療通訳者がすでにかかわっている精神医療や発達障害、母子保健、健診、感染症、難病、介護保険、障害などの各分野においては、改めて、全国の医療通訳利用の現状を把握し、行政もともに関り、医療機関、患者、

通訳者の立場から適切な運用の在り方を確認・検討するというきめ細やかな対応が進むことが必要です。

言葉に壁のある外国人のための支援として、通訳サービスが確実に制度化されるよう、関係各省庁、地方自治体、保健所、外国人、外国人支援団体、通訳者団体など関係者が各々その役割を果たし、実現のために連携することを願います。医療通訳制度の普及とは、このような地道な取り組みがあって進むものではないでしょうか。(HM)

 

医療通訳 · 2022/09/30

医療通訳雑感

病院へ行って医療通訳をする。通訳場面では、毎回、緊張感を持ち、何一つ言葉を落とすことなく、わかりやすい表現法で訳せるようにとつとめるのだが、通訳が終わっての帰り道、通訳場面を反芻していると、あそこは、こういう言いまわしの方が、わかりやすかったのではないか、単語はこちらの方が、よりよかったのではないかと、細かい部分でのオプションが頭を駆け巡る。20年近く、そんなことを繰り返している。

その人にとって最後の通訳になってしまったということも経験してきているが、さすがに、1年にそういうケースが4回あったときは、なんだか自分が「おくりびと」になってしまったような気がして、自分が通訳に行ってよいのだろうか・・と落ち込んだこともあった。死に至らないとしても残酷な告知をすることもある。通訳をしているその場では、家族や患者の思いを感じながら、平静に対応しているが、心の中には澱のようなものがたまっていく。

そんな医療通訳ではあるが、ふっと心が軽くなったり、とてもすっきりした気持ちで、満足感を得ることができたりということもある。

言葉に不安のある患者さんに、医療通訳者がつくことはごく当たり前のことであり、その患者さんにはいつも医療通訳者がついている病院で、ある日、診察室に入ると「来てくれたんですね!よかった」と医師に声をかけられた。なんだかふっと心が軽くなり、じんわりと温かいものがしみてきた。人間の心というものは複雑なので、毎回言われるとプレッシャーに変わることもあるのだろうが、知らず知らず、ちょっと心が疲れているとき、傷ついているときにこういう言葉を聞くといやされる。

また、お互いの言葉が足りないために、不信感を抱いて、治療がうまく進みそうにない時に医師や患者に、「正確に通訳するために確認したいのですが・・」と細かい部分を確認してから通訳していくことで、お互いに対する不

信感が消えてうまくかみあったときなど、通訳をしている自分もすっきりし、満足できる。

医療通訳者は、あくまでも黒子であるべきと思いつつも、医療者、患者、医療通訳者の3者で成し遂げた感を感じることもある。

以前に比べると、研修もいろいろなところで行われ、優秀な医療通訳者も増えてきている。私は、優秀な医療通訳者にはいつまでたってもなれないとは思うが、これからも、準備は怠ることなく、地道に学習も続けていくことで、医療者や患者にも助けてもらいながらも安心してもらえる危なくない医療通訳者としてできる限り続けていきたいと思っている。(IY)

 

医療通訳 · 2022/09/02

一期一会 医療通訳つれづれ

医療通訳に関わり始めて早9年。過ぎてみればあっという間だった。通訳場面はひとつとして同じものはなく、忘れられないものばかりである。自分の思いを言葉で表現できない乳児もいれば、自分がかかったことがある病気でかつ年齢が近く思わず親近感を抱いてしまう女性、さらには検査結果が思いがけず厳しくすぐに入院の話題となったため状況を理解できず激しく動揺する患者さん・・・毎回色々な出会いがある。どんな患者さんなのかとドキドキしながらいつも病院に向かう。

医療通訳に携わるようになり分かったのは、病気の種類の多さである。医療通訳活動をしていなければ出会うことがなかった病気も多い。通訳機会の多い病気もあれば、頻度が少ない病気もある。何度か通訳をしたことがある病気であれば、準備にかかる時間も短くなり理解も深まり、患者さんが口にする質問まで予想できてしまう。診察で色々な話題が出てくることを想定して、出来る限り準備をして臨む。何度か担当した病気であっても、毎回必ず新たな発見があり、そして自分の通訳に関する反省点がある。初めて担当する病気であると緊張するが、準備の段階で得た知識を実際に医師が話すのを聞いた時は目の前の霧が急に晴れ、その病気の理解が自分の中に定着するのを感じる瞬間である。理解なしには決して通訳できないので、準備の必要性を感じている。

患者さんにとって良い通訳者とはどのような通訳者なのだろう。幸か不幸か海外滞在中に病院に行ったことがなく、通訳者を介して自分の病気や症

状を医師に伝え診察を受ける経験もないため、想像するしかない。通訳者はまず外国語で話をきちんと聞いて正しく理解し、それを日本語で医師に伝える。そして、医師が日本語で行った説明を患者さんが理解できるように外国語で的確に伝える。これが実に難しい。患者さんは自分の質問に対する医師の回答で、通訳者が正しく理解し的確に通訳したのかが分かる。通訳者としては、ひと言ひと言を大切にして正しく理解して的確に訳していくしかない。患者さんが通訳に満足すれば、「ありがとう」と言われるだろうし、言葉以外でも様子や雰囲気で患者さんが通訳者の訳をどう思っているのかが分かる。

同じ患者さんに再会することはほとんどない。再会したとしても、診察内容は前回と同じことはなく、まさに一期一会である。通訳者にとって一患者であっても、患者さんにとって通訳者は自分の耳となり口となる、なくてはならない存在であることを忘れずにいたい。

医療通訳活動9年目を学校生活に当てはめれば義務教育最終学年に相当する。10年目以降は、自分で選択した道を進むことになる。どんな医療通訳者を目指したいのか、漠然とではあるがその姿は見えている。理想の姿に少しでも近づくためにも、毎回の通訳現場を大切にしていきたい。

M. F.

 

医療通訳 · 2022/07/18

自分の役割を信じて

COVID-19の第7波といわれる感染状況の中、医療通訳者の皆様は日々お忙しいことと思います。私は看護の専門学校でコミュニケーションなどを担当していますが、外国人診療の現場の声を聞きたくてNAMIの活動に時々関わらせていただいています。

今年(2022年)の春、多くの看護師養成機関ではカリキュラムの改正が行われました。社会の変化やニーズに応えるために、今回の改正では総取得単位は5単位引き上げられ、「地域・在宅看護」の学びの充実、臨床判断力や倫理問題に対処できる基礎的能力強化、ICT活用やコミュニケーション能力を高める、実習規定の自由度を上げる、などが改正ポイントとなっています。

この「コミュニケーション能力を高める」対応のためでしょうか、私が授業をしている学校では今春から語学教育が大きく変わりました。新宿にある学校は中国語、韓国語、スペイン語などの授業を新たに導入しました。とはいえ非常に限られた時間数で全くの初心者に教えることができ、かつ医療事情に明るい語学講師、となると探すのに苦労があったようです。(ある言語は医療通訳者でもある講師が担当になりました!)一方神奈川の学校では“国際教育推進プロジェクト”として学内での実習の際に、異文化背景を持つ患者さんへの対応と英語表現を実践的に学ぶという取り組みを行っています。どちらの学校も形は違いますが、患者さんと長く接する看護師自身に“多文化に対応する力”をつけさせたい学校の狙いがあるのでしょう。

多文化な医療現場にいる看護師が持つべき能力として、最も大切なことは何だと皆さんはお考えでしょうか。私は、様々な外国語を学ぶことや、患者さんへの声かけの英語フレーズを覚えることももちろん意味のある事だとは思います。しかしながら、ほんの数回の授業で患者さんから十分な情報を収集できるところまではいかないでしょうし、英語フレーズも英語話者でない患者さんには使えません。看護師国家試験に語学試験がない以上、是が非でも国家試験合格を果たさなければならない学生たちにとって語学は一部の“国際ボランティアや海外での就職に関心のある学生”のためのもの、という感覚も否定できません。ただすべての看護師に必要とされる多文化対応力というものがあるとしたら、それは”想像力“と”専門家と協働する力“ではないかと私は思っています。

異なる言語や文化背景を持つ目の前の患者さんが、何に困っているのか、どんな気持ちなのか。何を伝えれば安心してもらえて、どういったサポートがあれば適切なケアを提供できるのか。相手の状況を常に想像する力、そして大切な情報を正しく伝えるために何が必要かを判断する力です。その判断のために、英語や外国語を学んで異文化を感じた経験は生かされるはずです。また相手の日本語の力に応じて話す「やさしい日本語」の運用も医療者ができる具体的なアプローチの一つです。私自身は、多文化対応力というのはまずはそういった自身のコミュニケーション力を駆使した上で、プロに託す領域を見極めることではないかと考えています。

看護師は看護のプロであり、カウンセラーでも通訳者でもありません。業務の遂行のために必要な他のプロの力を借りることは当然のことです。医療の多職種協働と言われていますが、この職種に“医療文化と言語の仲介者である医療通訳者”も含まれているということを医療者側がしっかり認識するべきで、これは私が伝える事だと思っているのです。

と、大きなことを語りましたが、実のところは世代の違う学生を前に悪戦苦闘中です。非常にあっさりとした、時に冷たくも感じる彼らの対人姿勢に戸惑うこともあります。それでも、将来成長した彼らが多文化な医療現場で信頼される看護師になっている姿と、そこに当たり前のように医療通訳者がチームとして存在する世界を夢見ながら、自分の役割を信じて小さな仕事を積み重ねる日々です。 (N.H.)

 

医療通訳 · 2022/05/28

医療の先に起こること

前回のブログで取り上げられていた「医療通訳者の七つ道具」のうちコロナ禍にあるか否かにかかわらず7番目に挙がっているのが、医療通訳者がつらい内容の通訳を忘れられる癒しグッズ・癒し時間です。今回はこの点について私自身が最近経験したことを共有したいと思います。

ずいぶん長い間医療通訳に携わってきた中で様々な患者さんに接してきて、患者さんの治療後の予後をよく考えます。治療後の患者さんのQOLを維持すること、そのためにどのようなリスクがあるのかを考えると、患者さん一人一人にとっての具体的な治療のあり方は変わってくると思います。患者さんと医療機関と相談しながら皆で最善を尽くしたと思っても、残念ながら期待した結果が得られないこともあります。

たいへんまれなケースでしたが、半年ほど前に外国籍の患者さんが日本での急性期の治療中に亡くなりました。外国籍の方が日本で亡くなるということに関して起こるたくさんの課題に直面しました。必要な届けをどこに出したらよいのか、母国に帰るにしてもどのような状態で帰るのか、そのための手続きとしてはどのようなことが必要なのか、などといったことの中には、患者さんが帰るべき国によって違う手続きもいくつかあります。

このような経験をしたことで、外国籍の方が日本で亡くなった際に相談できる業者さんがいるということも知りました。そのような業者さんの存在がどれだけ心強かったかわかりません。また、その日までの経緯を振り返ってああすればよかったのではないか、こうすればよかったのではないかとつい考えすぎてつらくなってしまう気持ちを救ってくれたのは、ご遺族の方々からの感謝の言葉でした。その一言にお礼を言いたいのはこちらでした。誠意をもって仕事をするということの大切さをいまいちど肝に銘じました。

医療通訳者のメンタルケアが大事であることは誰もが知っています。 実際どうすることがよいのかは人それぞれかもしれませんが、まずは、自分は誠意をもって仕事をしたのだと改めて自覚すること、さらに、起こったことを客観視して人に話すということが効果的なケアの第一歩のように思います。起こったことを客観視するためには少し時間が必要かもしれませんが、逆に人に話そうと思うことで少し客観視することもできます。客観視できれば感情的になることもありませんし、通訳として守秘義務を持っているということに注意しながら話すことができます。自分が今回のような経験をして改めて思うのは、必要の時は自分も適切に話の聞ける人になりたいということです。

私たちは医療通訳者として様々な患者さんに接します。担当する症例も状況も様々ですが、患者さんが今受けている医療の先に何が必要なのか、患者さん各々の予後はどうなのかを考えることも、コミュニティで共に生活していくことつまり多文化共生でもあるのだと思います。(YN)

 

医療通訳 · 2022/03/30

医療通訳者の七つ道具

少し前までの医療通訳者の七つ道具と言えば、1.電子辞書、2.ボールペン、3.メモとりのためのノート、4.机がなくても書けるようなボード、5.事前に準備したメモや単語集、6派遣元の名札、7.つらい内容の通訳を忘れられる癒しグッズといったところでした。

それ以外にも、大きなバッグは荷物の置き場所がない時にも、両手をメモ取りや辞書のために開けておくため、必需品だったのではないでしょうか。

国の方針や新型コロナウイルスの流行が、遠隔ビデオ通訳の普及に大きく影響したこともあって、現在は遠隔ビデオ通訳も行っている通訳者が増えてきています。遠隔ビデオ通訳の七つ道具としては1.パソコンかタブレット、2.良い接続環境、3.通訳を行うソフトウエア(以下ソフト)、4.通訳を行う際の背景、5.コントロールされた表情、6.家族の協力、7. つらい内容の通訳を忘れられる癒しの時間を上げたいと思います。

1.のパソコンはハードディスク(可能であればSSDの方がより高速です)の空き容量が十分で、メモリの容量も大きいものが望ましいです。OSのスタートアップ時に同時に起動するソフトはできるだけ少なくしておくことをお勧

めします。プログロムやソフトの更新を仕事外の時間にこまめに行います。タブレットも小さすぎると使いにくいので、大きめのインチが必要でしょう。

2.の良い接続環境も素早く対応するためには不可欠です。通訳時に画面がフリーズしたり、切れたりしないことはもとより、相手から接続されたときに、接続音が鳴りだすのに時間がかからないようにするためです。小刻みにでもフリーズすると、通訳時に1つだけ大切な単語を聞き逃がしたり、聞き逃されたりするのではないかというストレスから逃れるために有線を選ぶのも1つの方法だと思います。

3.遠隔ビデオ通訳に使うソフトは1つではありません。自分のパソコンにいくつかの接続のためのソフトをインストールし、仕事中は立ち上げておき、通訳が始まると使わないソフトを離席中とし、通訳終了後は即座に、待機中に戻します。通訳記録も複数のソフトや入力サイトを使うことが想定されます。こうなってくると、通訳技術だけでなく、事務能力を求められます。指定されたフォントやサイズで1つのマス(セル)の上下左右の位置も調整しながら入力するよう求められることも。求められない場合は、コーディネーターが必死に修正しているかもしれません (コーディネーターの独り言)。

4.通訳を行う場所の背景も事務的なものを求められます。バーチャル背景が使えるソフトでなければリールに布をかけたり、背後の壁の飾りを毎回片付ける必要があるでしょう。

5.通訳を行う際の表情は、同席の通訳時より顔のアップが表示されるため、相手に与える印象は濃くなるようです。具合が悪い患者さんがいるのにずっと笑顔でいる訳にはいきませんが、患者も医療機関も安心させる表情を研究しておきたいものです。

6.小さい子どもさんや高齢の家族がいる場合、独立した部屋で通訳を行っていても、予期せぬことが起こる可能性があります。大きな音をたてたり、画面に入ったりしてこないように、ある程度の練習が必要でしょう。ご家族や同居している方への成功報酬のおやつやビールの準備をお忘れなく。

7.外出して通訳を行う場合は、帰りに何か買い物したり、食べたりと気分転換をすることが可能ですが、家で通訳が終われば、すぐに生活が待っています。通訳の内容がつらいものであったり、失敗したのではないかと落ち込

んだりした時には、ほんの短い時間であっても自分を癒す時間を持つことを強く勧めます。

一般的に自宅での待機型の通訳の場合、出勤型や同席型よりも報酬は少ないと聞いています。報酬は少ないのにパソコン、ヘッドセット、接続環境、働くための資格など投資しなければならない負担は増えています。それでも医療通訳者としてがんばるのは、なぜなのか。もういちど考えつつ、今日の私のブログを終えたいと思います。(N.I.)

 

医療通訳 · 2021/11/04

最近おもうこと

私は1998年にアメリカで医療通訳を始めて以来、今までアメリカと日本で約20年、ささやかながら活動してきました。私が日本で医療通訳を始めた2006年には、医療通訳という言葉は、ウェブで検索してもほとんど何も出てきませんでした。日本における医療通訳者の役割は当時と比べてどのくらい理解されるようになってきたでしょうか?

進歩があったといえばありました。でも、見方を変えれば、あれから10数年たった今も、あまり状況は大きくは変わっていないと感じています。

今になっても、医療通訳というサービスに対する対価・報酬は、誰が支払うべきか、決まったものがありません。最近は病院が電話での医療通訳サービスを利用するようになりました。料金は病院が支払うのですが、個別の病院が単独に電話医療通訳会社と契約するのではなく、団体契約、つまり医療グループや薬局グループとして、地方自治体、または医師会がサポートをして、それを個々の病院が利用するケースが多く見受けられます。

それ自体は素晴らしいことですし、15年前と比べたら格段の進歩なのですが、医療通訳者への報酬はどこから誰が出すべきなのか…という話に、いつも戻っていってしまうのです。

電話通訳サービスの提供を開始した病院も、しばらくすると患者さんへ通訳料を転嫁し始めたところもありますし、今でも、「日本語が話せるお友達を連れてきてほしい…」と言う基本的な考え方は変わっていない医療機関が多いようです。一方で、専門病院、大学病院の中には、医療通訳者を入れないと、外国人患者に説明と同意(IC)をおこなわない、と決めているところもあります。病院も2分化してきているように感じます。

そんな中、この夏には、国際臨床医学会が、医療機関におけるOJT研修システムの確立に向けて動いていくというシンポジウムが開かれました。国際臨床医学会は、2019年に認定医療通訳士の制度を作ったのですから、私はすぐに実務研修が始まるものと思っていました。予定によれば、4年後には医療現場での通訳実技、研修を経て認定が更新されるということなので、あと1年しかありません。具体的な動きは末端にいる通訳者にはまだ見えておりません。

そのOJT研修なのですが、病院は、「協力はできる…」と表明しているところが多いにもかかわらず、実行に移すとなると、このコロナ禍で忙しい時に、「一体誰が研修の指導を行うのか?」とか、「病院にいる通訳は忙しくて時間がない」、といった声が多いようです。もちろん今のこの新型コロナ流行の状態では、研修通訳を入れることは、感染リスクを増やすことになるので、なかなか難しいと思います。

個人の意見としては、わたしは、通訳者の研修を行う人たちは、病院内部の通訳者やコーディネーターではなくてもかまわないと思っています。むしろNPOや任意団体で長年通訳を実際に行ってきた方たちが、指導をする最適任者だと思うのです。病院を使わせてくだされば指導や研修プログラムは経験のある団体が実施するのでもいいのに、とおもうのですが、なかなか現実的には難しいでしょうか? NPOや国際化協会などはそれそれの団体で、通訳者を育ててきているわけですから、それなりのノウハウがあると思います。それなのに、行政も病院も、「ボランティアでやってきた人たち…」というだけで、その人たちがどれだけ自分たちで道を切り開いてきたかを知らないまま、「こういった人たちには頼めない…」と思っているのでしょうか。ボランティア通訳ということばを、素人の集まり、あまり能力が高くない人たち…という意味で使っている方たちがいます。

しかし、現在 電話通訳などの会社に入っている実際に医療通訳を行っている人たちは、実は、そのボランティア通訳者と同じひとたちである…ということが多いのです。つまり、地域のボランティア通訳も電話会社のプロの通訳も両方ともやっている方たちがいるわけです。私自身も、ボランティア通訳も会社での電話通訳も、医療ビザで来る方の通訳を提供するエージェントの通訳もやりますし、報酬は0円から16000円まで、全く違うのです。でも、どちらの通訳も同じ技量、同じ情熱が必要なのです。

最近は、日本という国は、外国人の基本的人権というものは全く意に介さない国なのではないか‥と思うことが多いです。もちろん、個々にたくさん素晴らしい方たちはいて、NPOで外国人のサポートをしていられる方たちには深

い敬意をはらっています。ですが、行政・政府が、外国人の基本的人権を守ることに重点を置いていないように思います。最近のニュースに目を向けてみた時、この夏のアフガニスタンからのアメリカの完全撤退後の難民のニュースを見ても、日本の難民の受け入れ人数は、驚くほど少ないという状態で、これは以前と何も変わっていないし、改善される兆しもないことがわかりがっかりさせられます。また、入国管理局で拘留されている人たちの基本的人権がおろそかにされていることは、スリランカのウィシュマさんが入国管理施設で亡くなったという事件を見ても、明らかです。外国人技能実習制度に関しても、日本に来て一生懸命働いて国の家族を支えたいという思いのもとに日本に夢を持って働きに来る若者達に、家族同伴も認められていません。

日本の外国人への対応は変わっていくことがないのだろうか?残念ながらあまりポジティブに考えることができません。結局は、医療通訳が発展していっていないということも元のところは同じ根っこから発生しているのではないかと思っています。

私には今いったい何ができるだろうか、と考えたときに、まずは目の前にいる外国人のサポートをすることしかできないのです。一人一人の外国人のサポート、それが電話通訳であろうが同行通訳であろうが、予約取りや病院問い合わせのサポートであろうが、困っている人はいるわけで、それぞれが実際に助けを必要としています。

医療通訳者はそれぞれの患者さんたちのプライベートな事情を、立場上知ることになります。これは、図らずも今の社会を知る切り口にもなります。つまりなくならない問題点を一つ一つ私たち医療通訳者はその目で見ているのです。心が痛むことも多々ありますし、喜んでもらうことになればやはりうれしいです。ただ、現実的には疑問を抱えながらも今は淡々と通訳をしていくしかないのだろうか、と思うこの頃です。 (M.T)

 

医療通訳 · 2021/08/04

大学生の目に映った医療通訳とは

私は、大学の外国部学部に所属し、大学と大学院で通訳の授業を担当しています。本外国語学部では、今学期初の試みとして一年生を対象に、私は日本における医療通訳の現状と基礎トレーニングをテーマに4回にわたって講義を行いました。そのうちの一回は県内の協定医療機関に医療通訳を派遣しているNPOの英語医療通訳スタッフY.I.氏に現場の経験を語っていただきました。初めて見聞きするであろう医療通訳について、若く健康で病

院と無縁な大学生たちがどのように講義内容を受け止めたのか、授業後に感想を書いてもらいました。この機会に、医療通訳に対する彼らの興味と関心の変化を、医療通訳者の皆さんとシェアしたいと思います。

まず、授業後の感想文から、学生の皆さんは医療通訳の重要性と必要性をよく理解し、医療通訳者には高度な職業能力の他、文化の仲介なども求められていて、その現場対応の難しさに、多くの反響がありました:

・医療通訳者にはこの授業で初めて出会ったのですが、文系でも医療に携わり人の命を救う手助けができるなんて、とても素敵な職業だと思っています。

・通訳の中でも、生命に関わる医療通訳は最も高度だと考える。

・医療現場において、医者や看護師と同じぐらい重要性の高い役割を果たしているのが医療通訳者だと思った。身体のどこかが悪くて病院に来ているわけだから、それだけでも不安なのに、言葉が分からないことでさらに不安になる。それを和らげることができる医療通訳者は外国人患者にとって安心できる存在だと思った。

・医療通訳は他の通訳とはレベルが段違いに難しい上に、ニュアンスでいいだろうといった妥協が許されない大事なものだと感じた。的確に、でも分かりやすく、というバランスが難しいと知った。特に日本語は曖昧な表現や擬音などが分かりにくいからそれをどうやったら海外の人にも伝わるのかが課題だと感じた。

医療通訳者の必要性と難しさに共感すると同時に、医療通訳者がおかれている現状、とりわけ国家資格としての認定がまだなく、ほとんどボランティア扱いであることに驚き、現状改善を求めるコメントが多く寄せられました:

・授業を聞いて日本の医療通訳の制度が十分に整っていないことに驚きました。医療は命に関わることなので早急に政府が焦点を当てて取り組むべきだと思いました。

・私は医療通訳の国家資格をつくり、更に拡大させていくべきだと考える。グローバル化によって更に通訳の需要が高まると考える。なので大学科目に通訳の授業を増やせば、興味を持つ人が増えるのではないかと思う。

・医療通訳は生死に関わることなのに給料が安いのが気になった。

・通訳報酬が思ったよりも低くて驚きました。医療通訳はこの時代を生きる上でとっても必要であり、厳しい新人研修を通ってきているのでもっと広まるべきだと思いました。

・ボランティアとしてやっていることに驚いた。人のためにやっていることがすごいと思った。

・異なる言語を話す人同士が医療という専門的且つ重要な場面で会話するにあたって、そこには多くの壁があり、医療通訳は必要不可欠であると改めて実感した。しかし、進んでいる川崎でさえ、ほぼボランティア状態の雇用形態であり、その努力に全く見合っていないことは非常に大きな問題である。それこそが医療通訳が足りていない現状を引き起こしている要因の一つであると考える。

・医療通訳者の方が少ない給料で外国人の為に働いてくださっていること、政府がもっと支援や働きやすい環境を作って欲しいと考えました。もし、自分が外国人の立場だったら医療通訳者の方がどれだけ頼りになるのか考えさせられる授業でした。もっとお話を聞きたかったです。

また、医療通訳のトレーニングや心得、とりわけ共通言語としての英語の医療通訳者の難しさも学生の関心を惹きつけました:

・通訳トレーニングで、聴きなれない医療用語を日本語で記憶して伝えることですら難しいものを、患者の立場に立ってわかりやすく通訳をするのはとても難しいと思った。

・英語は話せる人も多いのでコミュニケーションをとることは簡単だと思っていたが、英語を話す人口が多いからこそ、文化や習慣も国によって違うので、英語を話せるだけでは難しいと思いました。

・医療通訳はただ通訳すれば良いというだけでなく、患者さんの病状やその場の状況など様々なことを考えて対応しなければいけないということがすごく大変だと感じました。

・英語の通訳者は、英語ができる人が多いからこそ難しく、改めて複雑さを感じました。自分たちとあまり変わらない給料(アルバイト代)で様々な患者様の対応を行い、そのプロフェッショナルに圧倒され、こんな世界があったなんて初めて知り、とても勉強になりました。

・正確に言葉を伝えられたとしても、文化の違いによって理解に辿り着かないケースが多いことが分かった。そのような文化の違いなどによるすれ違いを避けるためには、相手の文化や常識への理解が大切である。自分達にとっての常識を信じ込み過ぎると互いの理解に辿り着かない。

・国際共通語であるがゆえに、他の言語に比べて最も英語話者のバックグラウンドに幅があると伺い、そのうちの1人として非常に納得した。特に第二外国語同士で英語を用いる際は、文化の差があることを常に心に止めておきたい。

・医療通訳の心得を守りながら取り組むことが非常に難しそうだと感じた。どの心得も単純で当然のものではあるが、イレギュラーな事態には自分の判断が命を左右する可能性も出てくるという、強い責任感が必要な仕事だと分かった。

・心得10ヶ条を見て、医療関係者や患者に対して常に客観的でいることの難しさともどかしさが経験談からも伝わりました。でもこの客観的があるからこそ通訳が成り立つのだと思いました。

皆さん、大学一年生の目に映った医療通訳の現状はいかがでしょうか。4回の講義を受けただけで、これだけの反響があったとは正直私も驚きました。132名の学生が毎回熱心に耳を傾けてくれて、その真剣な眼差しから何か心に刺さったものがあったと感じました。医療通訳者の理解者、支持者、そして参加者にもなりうる学生の生の声が聞けて、非常に有意義だと思いました。この度若者から得られたこれらの共感を大事にし、今後も地道に医療通訳者養成の輪を広げていきたいと思います。

賛助会員, H.M.

 

医療通訳 · 2021/07/21

コロナ禍と医療通訳

コロナ禍の中で、私たちの生活や仕事の形態は変化を余儀なくされ、これまでの常識は大きく変わりました。東京に行けない、旅行に行けない、外食ができない、友達と大声で騒ぐことができない…我慢を強いられる毎日となりました。

医療通訳派遣の実践では、感染対策として、それまで正確性への疑問や遠隔機器の準備が整わないなどの理由で進まなかった電話やスカイプ、ズームなどの機器を利用した遠隔通訳の必要性が認識され、各地で制度化が進みました。

遠隔診療の準備も進むなど、コロナは日本中どこでも地域格差なく遠隔での診療や通訳が実践される大きな弾みとなりました。ハードとソフトの両面から情報がいきわたり、関係者に必要なトレーニングが準備され、夢に描いた将来が近いように思います。そのために国の助成金が使われています。

全国の講習会がZOOMで行われ、全国各地から参加できるようになりました。関心を持つ人であればだれでも容易に必要な知識を習得できます。

企業、大学、NPO主催のものなど壁なく参加自由という環境がコロナ禍の中、整いました。

ここで話を医療通訳に戻しましょう。これから医療通訳制度はさらにどのように展開されていくのでしょうか。

各地で派遣通訳制度の充実が図られる一方、電話通訳業のサービスは、医療機関や保健所、隔離施設での外国人のコロナ患者への対応が否応なしに必要とされる中、多言語かつ即時対応可能という強みを生かし、急速に展開されています。国からも助成金が充てられ、地方自治体、医療機関に普及し始めました。

一方、地域の医療通訳派遣制度はボランティアによる対応がほとんどですが、コロナ禍のため更に厳しくなっている地方や医療機関の財源難の中でこの先どうなっていくのか見通すことが難しくなってきました。

遠隔通訳と並び現在利用されている多言語音声翻訳ツールについてみると、最近興味ある研究結果が発表されました。現場の医療関係者、通訳者はどのように考えているのか、「医療通訳の役割・多言語音声翻訳ツールに関する意識調査」(東京大学医科学研究所2021年3月)(https://www.pubpoli-imsut.jp/files/files/61/0000061.pdf)は、今後の対面医療通訳者制度と多言語音声翻訳ツール利用の行方を考える貴重な資料となっています。医療通訳者の役割や、通訳の機械化と「人」の役割分担をどのように考えるのかを、10年前の医療現場での外国人対応状況と比較して医師と通訳者の双方から回答を得、まとめられたものです。

回答を得られた302名の医師のうち「日本語に不自由な外国人の治療に対応した経験がある医師は91.7%」に上るのに対し、まず「医療通訳者を交えて外国人患者に対応した経験のある医師は35.0%」とあり、依然医療通訳派遣制度が十分に普及していない現状がわかります。

多言語音声翻訳ツールの利用については、通訳者と医師の双方が通訳者とツールの強みを生かして共存すると想像しています。

「通訳者の活動が引き続き主流」と考える医療通訳者は、医療通訳は正確性や患者の文化的な背景など考慮する必要から「本来的に人間がやるべき」と考え「患者の状況や心情を理解したり、時に患者に寄り添ったりすることが医療通訳には必要であり、その役割は機械では十分に果たせないため」と考えています。

一方、医師は、「医療従事者と患者が直接意思疎通でき」「診療がスムーズになる」「実際に使用して便利だった」と回答するものが目立ち、患者の満

足度についても、「医師は

8割弱が前向きな評価をした」と結論しています。「今後更に多言語音声翻訳ツールの未来に強い注目や期待を寄せ」、「柔軟性」「コスト」にも関心が寄せられていると言及しています。

サービスの利用者である医師の見解とサービス提供者である通訳者のこのような見解の違いは今後どのような場で調整される機会が与えられるのでしょうか。

地域で医療通訳制度を考える時、医療機関の医師や医療通訳者の意識調査は今後の制度を考える上では欠かせないものです。翻訳機器の技術的進歩が著しく、通訳派遣業が急速に展開されるという社会情勢の中で変化する関係者の意識を確認し、地域の制度のあるべき姿を行政、医療機関、通訳者など関係者の皆さんとイメージ、企画することが大切です。

そこでイニシアティブをとるのは誰なのか。国、地方、医療関係者、NPO、通訳者など関係者すべてがその重要性を認識し、目指すところを共有し、協働の土台が整えられる地域は日本全国でどれほどあるのでしょうか。

経済は重要ですが、経済優先の風潮が地域の関係機関の連携や人のつながり、人命という大切なものをともに守るということを軽んじてしまうことにつながるとすれば残念なことです。

多くの課題を関係者がともに前向きに取り組み続けることが大切ですね。一医療通訳者として、地域の医療通訳者制度を考える者として、日本語を理解できない患者さんが「誰ひとりとり残されることのないよう」諦めずに前に進みたいと思います。

H.M.

 

医療通訳 · 2021/06/29

コミュニケーション

30年ほど前、仲間と地域に日本語教室を立ち上げた際、お世話になった日本語教師養成講座の先生に繰り返し言われたことがあります。

「あなたが発した言葉が学習者の頭の中、心の中でどう捉えられているか必ず感じるようにすること。」

「どんなに高度な教授法のスキルがあっても、一方通行ではコミュニケーションではない。「自分が発したメッセージを相手がどう受け取ったかを感じ取る」という段階まで踏まない限り、本当のコミュニケーションはとれない」と。

これは医療通訳を始めてからも強く感じることです。

通訳した言葉を患者さんが理解・納得すると、私と患者さんの間に流れる空気がクリアになる瞬間があります。反対に、理解していなかったり、疑問に思ったり、納得していなかったりすると、どよんとした空気が漂います。

医療通訳の「足さない・引かない・変えない」の鉄則に則りながらも、通訳した内容を患者さんがどう感じたのか、どう理解したのかを「感じる」ことはとても大事だと思います。理解・納得しきれていないようだなと感じたら、「今私が通訳した内容、わかりましたか?」と一言添えることによって、患者さんが言いたくても言えなかったかもしれないことを言ってもらえるチャンスを作ることができます。

これこそが機械にはできない、人間にしかできないことなのではないかなと思います。

コロナ禍で、対面通訳でもマスクをつけていて患者さんの表情を見て取ることが難しく、さらに遠隔通訳だと間に流れる空気を感じることも難しいですが、でも、それでも私たち人間にしかできないことはあると信じて病院に向かっている日々です。(MS)

 

医療通訳 · 2021/06/04

6月に寄せて

今年も折り返し地点に差し掛かっています。ここで去年のNAMIの活動を振り返ってみます。

5月には新型コロナウイルス流行と同時に、いち早く「Zoom特別セミナー」と題して、COVID-19に関する医療情報、感染予防対策、遠隔医療通訳に関する情報をお伝えしました。全国から200名のみなさんにご参加頂きました。ありがとうございます。

また、感染拡大防止のため、多くの自治体や病院では、派遣型通訳の受け入れを中止しました。そこでNAMIでは、医療通訳者に遠隔通訳に慣れてもらおうと、クラウドファンデイングREADYFORの助成金を受けて、「感染症対策遠隔医療通訳入門」研修会を8月から11月にかけて12回開催しました。全国の団体登録通訳者を対象に、8言語、合計365名の方が全国からZoomで参加下さいました。

内容は、新型コロナウイルスの基礎知識、遠隔医療通訳の心得等の講義、その後に言語別模擬通訳練習を行いました。シナリオは、現場に即したシナリオになるよう保健所長や発熱外来勤務の医師にご協力頂き、「保健所:外国人からの問合わせ電話を通訳する」「病院:発熱外来での通訳」等を練習しました。これほどの大規模医療通訳研修は、おそらく日本では初めてだったのではないかと思います。

国際交流協会やNGOに登録されている医療通訳者は、対面型の通訳訓練が基本です。病院で患者と合流した時に、自己紹介や守秘義務、逐次通訳であることをクライアントに伝える練習をします。また円滑なコミュニケーションのための通訳技術、職業倫理なども学びます。

しかし会話は言葉だけでは成立しません。相手のジェスチャー、目線や声の強弱、トーンや沈黙などの非言語メッセージからも情報は発信されます。クライアントから発信される言語・非言語メッセージを統合して医療通訳者は訳します。しかし電話通訳では、非言語の情報が受け取れません。資料や画像の共有ができない、またクライアントの表情も読み取ることができません。たとえビデオ通訳であっても、医師と患者の間の一瞬の間、表情を汲み取ることは難しいでしょう。通訳者と患者間のアイコンタクトもなかなか難しいです。

また、対面型の医療通訳者からは「寄り添いができない」との声が多く上がりました。対面型と遠隔通訳の両方を経験した医療通訳者たちが、遠隔通訳では「足りない」と感じていることが何かを言語化できれば、寄り添いが必要とされる場面は対面型医療通訳で、言語だけの対応で十分な場合は遠隔医療通訳を利用する、といった通訳の使い分けが、コロナ終息後にはできそうです。

しかし、たとえ「寄り添い」ができなくても、「非言語情報」が使えなくても、コロナ禍で医療通訳が利用できるのと、できないのでは大違いです。この非常事態を乗り切るためには、遠隔医療通訳もフルに活用して、日本語が不自由な外国人患者の医療アクセスの遅れを防ぐ必要があります。

そのために、今年NAMIができることは何か?今や全国にいる310名のNAMI会員ができることは何か?今年の残り7ヶ月も問い続け、走り続けたいと考えています。(N.M.)

Humans are constantly interpreting additional cures emitted by others and using these new cues to see if they are consistent with those previously emitted and with the imputed role of others. (J.H. Turner, The structure of Sociological Theory)

 

医療通訳 · 2021/03/25

日々これ勉強、医療通訳奮闘記

私の医療通訳との出会いは、夫の海外駐在時代に、自分が歯科医師で医療知識があったため日本人駐在員やご家族が現地で病気になったときに、よく呼ばれて病院に同行したことでした。対応した内容は、一般的な風邪や五十肩から突然のくも膜下出血、異文化環境によるこころの変調まで内容は様々でした。当時医療通訳という概念もなければ、方法論的なものも知りませんでした。ただ、日本人患者あるいはご家族の不安が、ひしひしと伝わって来たことはいまでも強く覚えています。

日本に戻った翌年に社会参加と自身の経験を活かしたいという思いから活動の場を探し、約20年前、当時はまだ珍しい遠隔医療通訳を展開しようとしている会社の求人があり登録しました。「ユキビタス」という言葉はもう死語になっているかもしれませんが、システムとしては面接に通った登録者は自宅の電話を使って、病院など医療機関にいる患者と医療者間の通訳をする仕組みでした。いわゆる今の電話通訳です。しかし、当時はまだ通話アプリもiPadもなかったので、先駆的でしたが運用はされませんでした。

今日までに自治体の外国人相談窓口相談員兼通訳、NPOの登録ボランティアとしての医療通訳、病院所属の医療通訳兼コーディネーターなど経験してきました。もともと語学の専門ではない負い目もあり、自己流では限界を感じたことから、系統的に勉強しはじめ、実践研究にも参加するようになりました。勉強や実践を通していくつか気づいた自分の変化を記したいと思います。

まずは、通訳の正確さを担保する重要な技術の1つであるノートテーキングについての認識です。最初は、医療通訳は短い会話が中心なのでノートテーキングの必要性を感じなかったのですが、自分の通訳内容を後で客観的に見ると、毎回必ずといってもいいほど訳出漏れがありました。いろいろな研修でも、ノートテーキングについては強調されていますが、通訳の専門訓練を受けてこなかった私にとって一大難題でした。そこで考え出したのは、まずある長さの文章を読んで、ノートにキーワードを取り出し、キーワードとキーワードの関係性を示せるように位置配置や記号略語などでつなぎます。

次にそのメモを見ながら、できるだけ元の文章にリライトします。今度はその文章を音読して録音し、聞きながら先と同じようにメモを取り、そのメモを見ながらリプロダクションします。これを繰り返すことによって、通訳のためのノートテーキングに慣れていきました。

つぎに、医療通訳の過程において、文化的な橋渡し役をどう実践して行くのかを考えました。最初のころは自分がネイティブであることの強みと勘違いし、自己判断で医師の話を省略したり、変えたりして、しかも堂々と「それは不必要な摩擦を避けるためだ」と正当化していました。しかし、実践を重ねるうちにそこには大きな落とし穴があることに気づきました。その落とし穴とは通訳者個人はすべての文化を知っている訳でもなければ、患者や医者のお腹の虫(寄生虫じゃないよ)でもありません。他人の意見を代弁することは通訳の原理原則に違反しています。文化の差異によるミスコミュニケーションが生じる恐れが予想できたときには、発話者に確認し、気付かせるのが医療通訳者の持てる責任です。それ以上でもそれ以下でもありません。

また、次のような事例もありました。医師が患者に「次回は血液検査します。ピロリ菌の検査もしましょう。」と言ったので、通訳して診察室を出たところ、患者は「ピロリ菌検査ってなに?」と通訳に聞いてきました。この通訳者は自分もピロリ菌の呼気検査をしたことがあり、他の患者で同じ検査のアテンドをしたことがあったことから、「呼気検査のことだ」と伝えました。ところが、この患者は採血のみで帰されました。次回受診の前に受付にピロリ菌検査を受けたかを聞かれ、「受けていない」と主張したため、危うくもう一度検査予約をする羽目になろうとしました。通訳を通してわけを聞いた医師は「血液検査でピロリ菌抗体をチェックすることができる」と説明してくれて、誤解が解けました。大きな事故ではないないにせよ、通訳の自己判断で医療の専門家でないのに答えてはいけないことを示した失敗例です。

そして最後にもう1つ、コミュニティ通訳と医療通訳の関係性についてです。私自身は医療通訳1本で生計が立てられたら嬉しいと思っていました。医療通訳をしている多く方もそうではないでしょうか。しかし残念ながら、ごく少数の病院雇用職員としてのコーディネーター兼通訳以外はそれを望めません。メジャー言語以外は、医療通訳の件数自体が多くないのも事実です。したがって実践の場を求めるなら、病院の通訳だけでなく、法律、行政、福祉、教育などの分野でも相談時の通訳もすることをお勧めします。コミュニティ通訳とは、地域生活の中で住民としての外国人を言語の面でホスト社会とつ

なぐ橋渡し役を担うことです。医療通訳との共通点も多く、例えば通訳の対象であるクライアント間の力や地位の差が大きいこと、文化による壁があること、業界の専門用語がある一方で生活に密着した表現も多いことが挙げられます。各分野に横断的に関わると、通訳時の理解力を助けるだけでなく、相談時の通訳として必要な「きく」能力も養えます。ここでいう「きく」とは「聴く=傾聴、聞く=内容を理解聞き入れる、訊く=確認のための補足質問」が含まれます1) 2)。

ボランティア団体に所属している医療通訳でも、通訳会社から派遣される医療通訳でも、病院雇用の職員通訳でも、実際に困っている患者のために何とかしようと奮闘努力しています。共通する目的は、誰でもいい医療を受ける権利を守ることであり誰でも自分の生命と健康に主体性が持てるよう保障することにあると信じております。 (MK)

引用文献:

1) コミュニティ通訳研究11-12年度報告「シリーズ多言語・多文化協働実践研究」東京外国語大学

http://www.tufs.ac.jp/blog/ts/g/cemmer_old/2013/03/_16.html

2)「多言語多文化―実践と研究 Vol.7 2015年12月」東京外国語大学http://www.tufs.ac.jp/blog/ts/g/cemmer_old/img/pdf/rinrikouryou.pdf

 

医療通訳 · 2021/02/27

「やっぱりもどかしい」

職場でも、プライベートでも人と会うときにマスクをし続けることになって1年以上経った。病院で仕事をする立場から、今までもインフルエンザの流行期(10月くらいから3月くらいまで)には職場ではマスクが義務付けられていたので、1年のうち半分近く職場ではマスク生活だったのだが、それ以外は自分自身のアレルギーのためにお花見に時期を越えるまで、で済んでいた。

ソーシャルワーカーという職業柄、毎日多くの方と直接会話をし、電話をかけるのだが、高齢者を始め聞きづらい障害をお持ちの方にはとても伝わりにくい。比較的滑舌は良い方だと思っているのだが、それでもマスク越しの声はこもり、電話が30分も続くと喉にこたえる。中には、私の声が聞こえないのにご自分のマスクを外して「えっ?」と聞き直す高齢者の方もいてコントのようなことが起こったりする。

日本語を母語とする方との会話でさえこの状態、通訳さんを介しての会話はなおさらで、派遣を依頼している団体で一時期派遣が止まり、電話通訳を依頼することになった時にも、電話なら投薬だけ受けるので依頼しない、という選択をされる方もいた。そのような方は機械翻訳などさらに利用したがらない。日頃はできるだけ教育を受けた通訳さんの依頼を勧めている当院でも、家族や知人の方へのご協力もお願いすることも増えた。

ビデオ通訳の方が電話より良い、と利用する方も増えたのだが、比較的若い世代でも電話もビデオも希望しない、何とか家族に休んでもらうという選択をされた方もいた。もちろんマスクの聞き取りづらさはあるのだが、それでも派遣通訳を希望されるということだ。

医療機関での通訳さんや職員の感染予防の方法が完全に戻るということはないだろう。1年中マスクを外せないのか…と内心覚悟もしている。しかし、相手の表情などに気を配り、自分も相手に安心感を与える笑顔を見せたいと思って仕事を続けてきた私にとって、初対面から時には最後まで相手の本当の顔が見えず、目元だけでせめてもの表情を見せている現状は、やっぱりもどかしくて仕方がない。

(M・I)

 

医療通訳 · 2020/11/30

AI通訳に出来ないこと

慇懃無礼、遠回しの嫌味、口先だけのお世辞、こういう会話をAIはどのように通訳するのだろうか?医療現場で出てくる会話ではないと思うが、興味深い。

コロナ禍で病院への直接派遣が難しくなっている現在、その多くが電話やタブレットといった形態に変化している。このような中、改めて同行通訳のメリットが浮き彫りになったことから、逆にAIが出来ないこととは何かを考えてみた。

非言語的表現をキャッチ出来ない。

「わかりましたか?」と医療者に確認され、「わかりました」と答えてしまう患者は多い。音だけ聞くとそれはそれで終了するが、顔を見ると「わかった」顔ではない。通訳による確認作業が必要な場面だが、それは同行して非言語的表現をキャッチするからである。

また、AIではイントネーションとか声の調子から相手の思いを理解することは難しい。

先ほどの例と同様であるが、そばにいて患者の醸す雰囲気や空気感を感じてこそである。

さらに患者が母国特融のジェスチャーを交えた場合、同行通訳ならそれが何を意味するのか説明して、誤解や齟齬を未然に防げることもある。

患者に対して診察に向けての配慮が出来ない。

母国と医療環境が違っていたり、医療知識に差があったりして、外国籍女性が婦人科にかかる際、内診を嫌がるケースは多い。しかし例えば妊娠を確定させるには内診は必須である。内診の必要性を説くのは医療者であるが、同行通訳が事前に「内診があるかもしれない」と言って心構えをさせておくことはできると思う。

整理が必要な時に出来ない。

足さない、引かないが原則の医療通訳にも、時にはどうしても「介入」が必要な時があるがそのタイミングをAIは判断できないと思う。

また、現場に参加する人数が多くて交通整理が必要な時もあるが、これもAIができるとは思えない。

正しく通訳されているのだろうかという不安感を払拭しきれない。

通訳の精度に関して、医療者にしても患者にしてもAIが訳したことが本当に自分の言いたかったことなのかどうか、完全に信頼することが難しいのではないか。膨大なデータを蓄積させることによりAIも進化するという期待はある。ただ、微妙なニュアンスを完全に翻訳できる日は来るのか? また、同じ言語でも国や地方によってさらには人によっても異なる発音や言い回しなど、すべてをこなせるのか?

生身の人間がそばにいることの安心感を与えられない。

病気や治療の説明はAIが正確に訳してくれるかもしれないが、それだけある。医療通訳において正確性は第一義的ではあるが、では患者がそれで納得するかというとそれはまた別物ではないだろうか。心身共に弱っている患者のそばに体温を持った人間が寄り添うことは、患者の気持ちの支えとなる。自身の感じている疑問や質問もそのような安定した状態の中でしか出てこない。信頼のできる医師に丁寧に説明され、質問や疑問にしっかり答えてもらってこそ患者は納得し、治療に取り組もうという気持ちになるのである。誠実なやり取りを土台にした医療者と患者との信頼関係が出来ていれば たとえ結果が望んだ通りにならなくても、患者やその家族には納得と満足感が残ると思う。

医療現場はある意味、人間のぶつかり合いともいえる。信頼性は人間同士の直接のかかわりの中でしか構築できないことを考えれば、AIがどんなに進化しても、人間による通訳を凌駕する日は来ないと思う。一方AIには人間を上回るメリットもあるので、AIを上手に利用しつつ、医療者・患者双方に満足してもらえる同行通訳が主流となるのが一番理にかなっていると思う。(YY)

 

医療通訳 · 2020/10/26

K.Uより

明解な答えがある理系課目が好きで理系に進み、気が付けば

一番苦手とした人に関わる仕事についている。

自分がやりたいと思うことと、周りから依頼されることのギャップを

感じながら、そして今、病院で外国人患者の諸々に関わっている。

あくまでも私信。

医療通訳・電話通訳の存在を院内に周知しながら、心配しているのは、全ての外国人患者に通訳が必要というルールが確立した際、費用負担が病院にのしかかるということ。新型コロナ感染症対策で、負担がかかった病院にまた負担がかかる。通訳代を徴収すればよいという単純なことではない。病院の誰が説明し、払えない場合は説明しなくて良いことにはならないし、そもそも医療費すら払えない人もいる。

仮放免患者の医療費負債、通訳代、病院が負担するものではないとも思う。

職場では、他部署の仕事の範疇に係るものだと、相談も難しいし、むしろ、言い出しっぺの私は面倒くさい存在になり、ますます難しくなるというのが現実。

医療通訳関連SNSの投稿をみると、皆さんの熱意に対し本当に頭が下がる。私自身の勉強への熱意は山あり谷ありだけれど、いつか、自分個人として動く時には、(医療通訳でなかったにせよ)英語を使える人で良かったと思えるように、少しずつでも勉強は続けていこうと思う。(K.U)

 

医療通訳 · 2020/09/30

コロナ渦の中で

半年以上にも及ぶコロナの影響は医療通訳の世界にもいろいろなものをもたらしました。

私の活動しているNPOでも4月半ばから8月末まで病院へ通訳派遣が中止となり、遠隔通訳をしました。2月以降、患者さんの病院へ行き控えがおこり、件数は減っていたものの遠隔通訳になったとたんに病院からの依頼は激減しました。しかしながら、遠隔通訳をするという機会をもらえたことは、個人的には貴重な経験でした。以前から、あまりの派遣依頼数に遠隔通訳と派遣通訳とを組み合わせるためのガイドラインを考えたいと思っていました。本来は病院側が判断するものだとは承知の上、また、医療通訳は通訳者側、患者側、医療者側の3者で決めていくのが最良だとは自明の理ではありますが。

実際に遠隔通訳をすることでいろいろなことがわかってきました。もちろん、対面通訳が通訳者にとっても患者側にとっても「医療通訳」ということを考えると最良の方法であるには違いないのですが、他の面でよい面も見ることができました。患者さんが、通訳者が隣にいると病院内での行為全てを通訳者に頼りがちになってしまう方が多いのですが、遠隔通訳になるとできるだけ自分のできることは自分でやるという自立も見えてきました。また、電話のやり取りで通訳をする場合は、医師が普段より患者に伝えたいことを簡潔に話してくれるということが多かったり、通訳者もメモ取りが容易だったり、ビデオ、スピーカフォンを使っての本来と同じような会話の通訳に際しても、通訳者は資料を広げて通訳できるといった利点もあったようにおもいます。

反対に問題点も多くみられました。通信が安定しないという問題、電話での通訳の場合、どこにいるのか、何人いるのか、患者と医療者だけではなかったときに、発話したのが誰なのかといったことがわからないということがありました。ビデオになると見えるという事でかなり解消できることは多いのですが、使い方に慣れていないと映っているのが壁だけであったり、医師の横顔だけであったりとせっかくのビデオが生かされていないこともありました。また、手術の説明や具体的な機器の使い方などはかなりてこずりますし、告知やカンファレンスはその場の参加者の気持ちに寄り添って通訳するという事は、遠隔では難しいと感じさせられました。

無理やりに与えられた少ない経験ではありますが、何が遠隔でできて、何ができないのかということを具体的に知ることができたことはこれから先の医療通訳活動に指針を与えてもらったような気がしています。(ya)

 

医療通訳 · 2020/08/26

不安との闘い

日本の医療機関を受診する外国人患者さんの中には、海外からわざわざそのために来日する方もいます。ビザなど日本への入国に必要な手続きや、必要な日数滞在するための手配にある程度の時間は必要なので、よほどの緊急対応を必要とする例でない限り、医療を求めて来日する方々の相談内容は、人間ドックなどの検査や、がんの検査・治療、慢性に近い疾患の検査・治療、いわゆる難病など希少疾患の精査や、過去に行った治療のフォローなどが多くなります。どんな疾患であっても、患者さんひとりひとり診療の内容は違います。長時間にわたる手術を行う方もいれば、何度も来日して根気よく日本での治療を続ける方や、長期に滞在して通院する方、1回の受診だけで済む方もいます。多くの場合、来日するまで日本の主治医となる医師に会ったことなく、さらに間に入るコーディネーター(コーディネート会社)にも会ったことがなく、来日までの間まさに密に交わされるやり取りを通してコーディネーターや医療機関との相互の信頼関係が少しずつできて、患者さんは来日します。言葉が通じない国に、どのような生活習慣なのかもよく分からない国に、自分の健康の不安を抱えながら行く勇気に感心します。それだけ一所懸命来日する患者さんに安全に医療を受けてもらって、少しでも

よくなって帰ってもらうために、医療機関も我々通訳とコーディネーターも一所懸命対応します。

今年春先からの新型コロナウィルス感染拡大によって、患者さんだけでなく私たちも様々な不安を感じるようになりました。知らない、分からないということがどれだけ不安を大きくするかを改めて認識しました。しかし、時間がかかっても新しいウイルスに関することが少しずつ分かってくるとその分少しだけ不安が小さくなります。どのようなことなのか分からなかった「新しい生活様式」も、実践しながら何となく分かってくると不安に思っているだけでなく工夫をしてみようと思えるようにもなります。

考えてみたら、自分の分からない言語で会話をしている患者さんと通訳を目の前にして、医師や医療従事者の方々もきっと不安を感じていたに違いありません。私たち通訳やコーディネーターは、患者さんだけでなく医療従事者の方々のためにも必要な存在です。

その私たち自身の不安も少しでも小さくしなくてはと思います。医療機関がどのような感染症対策を講じているのか、医療機関に行く時はどのような準備をすべきかを知ることも不安を小さくすることに役立ちます。そもそも通訳やコーディネーターが医療機関に出向かないようにするために遠隔で対応する必要にも迫られます。初めは慣れなくて不安な遠隔通訳も学んだり調べたりしてやってみると少し分かって、次はこうしよう!と思えます。感染症という事情や遠隔という手段に関わらず、初めて担当する疾患や領域の通訳は不安です。でも通訳の現場に出るまでにする準備でその不安が少し小さくなるはずです。

不安はいつもありますが、少し自信を持って、でも謙虚に外国人患者さんのいる場所に今後も関わっていこうと、まだ患者さんがなかなか来日できない今改めて思いつつ、自分を励ましています。(YN)

 

医療通訳 · 2020/07/27

医療通訳者がチームの一員として活躍できるために

2020年夏、今頃日本は東京2020オリンピック・パラリンピック大会で大いに盛り上がっているはずでした。私もヘルスケアボランティアとして救急セットを片手に会場を巡回しているはずでした。ところがCOVID-19 パンデミックによりオリパラは延期、感染状況は全く先が見えず生活や経済に対するダ

メージも計り知れない世界が目の前に広がっています。一体誰がこんな日が来ると想像できたでしょう。

人と物が自由に移動するグローバルな時代になり、感染症は風土病として終わらず一気に世界中に蔓延する病気になりました。じゃあ昔のように国と国は小さな扉を開け閉めして必要な時だけ交流する時代に戻れるのかというとそれはもう不可能でしょう。日本人も海外に出ていき、多くの外国人を日本に受け入れるのはこれからも変わらないはずです。

訪日在日外国人が増える中で国際化が急速に進んだのは医療現場も同じです。命を扱う医療の現場で言葉と文化の違いを超えるのは簡単なことではありません。国も外国人受入れ医療機関の整備や医療通訳の養成を後押しするなど時代に求められながら施策をしてきました。患者ケアの要ともいうべき看護の領域でも、2011年に国家試験に新科目「看護の統合と実践」が追加され、その中の1項目に「国際化と看護」という分野ができました。看護師育成においても医療の国際化は避けて通れないものになっています。医療通訳の学びのためにNAMIに入会した私は元看護師として、常に頭の片隅で「看護の国際化」と「医療通訳のあり方」の両方を意識していたように思います。

国家試験の変更以降、国際化対策として英語習得に力を入れる学校はありますが、国内で急増する外国人患者対応に必要なのは英語力だけではないことはNAMIの皆さまならすぐお分かりだと思います。もちろん英語コミュニケーション力は役立つ事も多いですが、英語が母語でない外国人が圧倒的に多い上、問題になるのは文化の違い等に起因した入院トラブルや未収金、不十分なコミュニケーションで生じる不信感など「英会話が出来たらOK」とはとても言えない状況です。こういった現状を知り、どこに原因があるのかを考えることができる力、またどういった制度や人材が助けになってくれるのか、総合的に外国人医療に向き合える医療従事者の”cultural competence” 異なる文化に対応していく力がもっと必要だと私は考えています。

この総合的な力の中には自分でできることを見極め、できない事を「プロに委ねる勇気を持つ」事も含まれます。医療の国際化に関わる職業の一つである医療通訳者は、医療従事者がその専門性を十分発揮できるために患者との間に入ってくれる専門職である、という認識も重要です。医療通訳者がどのようなことを学び、どのような訓練を受けているのか知っている現場はまだ少ないと思われます。もし医療従事者が医療通訳者のことや外国人医療を取り巻く現状と課題と施策等について理解を深めるなら、誰かに強制されるまでもなく、自然と医療通訳者を医療のチームに加えることになるのではないか

― そのためにできる働きかけがあるのではないかー NAMIでの学びを通して私は徐々に自分の役割に気づかされたのでした。

来年から私はある看護学校の看護英語のクラスを担当することになっています。元看護師で医療通訳を学んだものとして、これから現場に出ていく学生たちに伝えたいことがたくさんあります。NAMIの皆さまと共に医療通訳者が医療チームの一員として「当たり前に」活躍できる日を目指して、私も自分なりの方法で小さな一歩を踏み出したいと思います。(NH)

 

医療通訳 · 2020/07/18

医療通訳の本当の意義について改めて

梅雨に入りアジサイの花の美しさに目を奪われてしまう中、テレビでは洪水による災害やコロナのニュースが続くなんとも対照的な今の日本です。

災害に見舞われた方々のお見舞いを申し上げ、私の実体験した医療通訳とは何かについてお話ししたいと思います。

まずは、私の背景からお話しします。私は3歳で初めての通訳を経験しました。「言葉は人を結ぶ」のだと実感したのはイタリアで開催された世界大会のカヌーの選手団に付いて、イタリア語と日本語の通訳を行った時です。

当時3歳であった私は、今では2児の中学生の母です。その時から通訳期間を計算すると40年近いのでしょうか、言語はイタリア語からスペイン語に代わり日本の中学校の国語の教鞭をとる教師になるとは、自分自身も思っていませんでした。

事件は、コロナの問題が持ち上がる前の昨年11月17日に起きました。私は都内某病院で開かれた医療通訳の研修の後、夜の7時ごろ帰宅し、ゴロゴロしながら研修の内容を反芻していました。次女が母の携帯から電話をしてきました。「事故にあったの」震える声に、冷静さを失った私は「どこで?」と電話口に怒鳴っていました。場所は自宅から車で5分、最寄りの救急病院まで5分です。慌てて私は主人と弟夫婦と共に、事故現場を通り過ぎて病院に駆けつけました。

娘たちとは病院で合流しました。娘らはむち打ちの軽い症状でしたが、母がCT室と思われる部屋へ運ばれてゆく姿を遠目にみながら、娘たちに事情を聞きました。車椅子の私は、救急隊員の求める書類にサインをし、母の所有する保険会社へ連絡をし、看護師の書類にもサイン、振り返るとよく片手で車椅子を動かせたなあと今でも不思議に思います。

数分すると、医師らしき人物が、のちに病院の副医院長と判明したのですが、不機嫌そうに近寄ってきました。第一声は、「いちばん日本語ができるのは誰⁉」です。主人の声をかき消すように「私です」と答えました。当たり前です、私は15年国語の教鞭をとってきたのですから、日本語も一流です。

そこで、別室に招かれた総勢5名の大人、家族と医師で面談が始まりました。終始、主人へ向かって説明をする医師と、終始、主人から目で助けを求められて答える私の、三者間のやり取りの始まりです。皆さんも想像できる情景でしょう。医師は、結局「(検査結果が出ていないから)胸の骨折です」と言われました。私も医療通訳になり4年目を迎えていたのである程度の知識はありました。「それは肋骨ですか、胸骨ですか」と聞き返すわけです。不機嫌な医師の面談は1分程度で終了しました。ICUに入ることが決まった母親のところへエレベータで移動、医師は非協力的で家族の質問には答えないままICUの前で待機を命じました。そこで医師は不機嫌なまま、紙を一枚手にもって家族に説明を始めます。「骨折は、肋骨と胸骨です。」私も「肋骨は何本折れていますか、画像を見たいです。採血結果もしりたいです」と聞き返します。

不機嫌な医師の態度に怒りを感じて、声を荒らげ答えたのは長女でした。「母は、医療通訳です。しかも、よく勉強しています。国語の教師でもあります。」と、その言葉に顔色を変えて新しい用紙を取りに慌てて戻る医師の後ろ姿を見ながら、不安しか感じられない自分でした。

母はあそこで、どんな治療を受け、何をされているのだろう、ここの病院は大丈夫だろうか、完全に外国人差別を受けているのではないだろうか。

まさか外国人の4人に1人は博士というこの都市の病院で、自分が医療通訳になってから今まで文章の中でしか読んだことのない差別的扱いを感じるとは・・・悲しい気持ちでいっぱいでした。

私のこの4年間の努力・勉強・頑張りは、自分の家族がそう感じることがないようにとの願いも込めてのものでした。通訳としては誰にも

負けないと自負する自分ですが、今は何もできず一番支えたい家族の近くで言葉の障壁を取り払うこともできない。なんて無力なのだろう。

救急で運ばれる患者は病院を選べません。また、そこで行われる処置が適切なものでない場合でも、患者は我慢するしかありません。交通事故はこの国では頻繁に起こり、過失のない被害者でも、外国人であるだけで自分を守る手立てもないまま運ばれてゆくのです。そして、見えないところで差別を受けるのです。言葉の壁を理由に治療の内容も説明されず、意思決定も無視されるのです。『そんな悲しい思いを、他の人に、人間に感じさせてはいけない。』私の心に怒りの火が付きました。『この病院を変えなければならない、私の住む都市がこのような下品な病院を崇めるような都市にしてはならない。私が、一流の意地を見せるには今しかない。』

三日後私は、集中治療室でこの副院長に、医療通訳の意義と意地と誇りを見せつけることを決意し、通訳のボランティアを買って出ました。別室で外国人患者への対応の説明をしようとする副院長に私は、患者のベッドサイドで挿管の有無、必要性を通訳し、本人に決定させてください、意識はあるのですから、と促し無理やり連れてゆきます。早口で説明を始めようとする医師の言葉を遮りながら私は言いました。

「わたしは、医療通訳です。ここで話される内容はすべて通訳します。守秘義務は守ります。」

(Y.Y)

 

医療通訳 · 2020/06/01

がんの告知に関して

(患者自身と家族の思いの中で)

18年も医療通訳をやっていると、忘れえない患者さんが何人もいる。それは、数年にわたって何度も担当している患者さんのこともあれば、1回だけの出会いである場合もある。

アジア系のその患者さんは、日本人男性の妻の母親だった。末期がんであり、具合が悪くなってある病院で入院治療をしていたのだが、どうしてもセカンドオピニオンを聞きたいと希望して、専門病院を娘と娘の夫とともに訪れることになったのだった。その専門病院は、患者さんが外国人の場合、家族

が通訳をすることは認めていなかったので、医療通訳が依頼されることとなった。

通訳依頼者は患者さんの娘婿だった。彼が、義理の母の生活も支え、妻も義母も彼を頼っていることがうかがわれた。

通訳依頼をすることが決まったとき、彼は『義母には、本当のことは伝えてほしくない。もう助からないと思ったら、がっかりして生きていく意欲を失うと思う。これは家族みんなの思いだ。』と言っていたのだが、通訳依頼を受けるにあたり、私が所属する通訳団体からは、『医師の言うことを私たちはすべて訳さなければならないのでそのようなことはできない。その話を医師にしたければ、自分であらかじめ、通訳のいないところで話してほしい』と伝えて同意を得ていた。

当日、通訳がいないところで、医師とこの男性が日本語で話をする場面が来ることはなかった。家族全員が診察室に呼ばれ、患者さんも家族も通訳も一緒に入室した。

そこで初めて男性は義母にはわからない日本語で、医師に、『真実を伝えないでほしい』とお願いした。医師は、『そういうことはできませんよ。困りますね。』といわれて、セカンドオピニオン外来が始まった。

医療通訳者というものは、診察室に入ったらその中で行われている会話をすべて通訳しなければならないということを、私はよく理解していた。しかし、そのときは、通訳をすることができず、黙って座っていた。医師と男性の日本語のやり取りが終わってから通訳を開始し、すべて正確に通訳することを心がけた。

結局は、医師は、『放射線治療は今の健康状態では無理なので、入院していた病院に戻って、まず今の病状に対する治療を受けて、もう少し元気になって放射線治療が可能になったら戻ってきてください。』と患者さんに話した。

日本も昔は、患者さんにだけはがんの告知をせずにまず家族に話し、家族はそれを隠して過ごす…という文化であった。世界のいろいろな国で、今でもこのような文化が受け継がれているところもまだあると聞く。この患者さんは、もしこの時にがんの告知を受けたとしたら、どうだっただろうか? 家族が言うように、本当のことを聞いたらがっかりして治療の意欲も失ってしまっただろうか?それとも、最後の残された時間を、精いっぱい家族との貴重な時間として過ごし、死ぬまでにできることをやっておきたいと思っただろうか? この患者さんに真実を伝えるのは、通訳者としての私の義務であったのではないか?

がんの告知に関する通訳は、とにかく正確であることが一番大切だと思っている。ある時、『厳しいことを医師が話しているときにはそれをもっと柔らかく伝えようと思う』という医療通訳志望者がいることを知って、私は驚いた。ある医療通訳講座で受講者の一人が、『がんの告知の通訳に行くことになったら、できるだけがんという言葉を使わないで優しい言葉で言ってあげるんだ。』といわれた。これは間違っていると強く思った。今でもその思いは変わらない。

人は、告知を受けて強くなる人もいる、弱くなる人もいる。それは、そのひとそれぞれの “resilience”(立ち直る力)であり人生である。苦しい治療を早くやめて家で家族との最後の貴重な時間を過ごそうと思う人もいるし、最後までつらい治療に立ち向かう人もいる。

これは、通訳が事実を変えて伝えることによって変わるものではなく、それとはまったく違った次元にある問題だ。通訳者にできることは、できるだけ正確に伝えることに尽きる。それをどのように受け止めるかは、その人次第、家族次第であり、通訳者が心配する問題ではないはずだ。

でも、今後、この時と同じ状況に遭遇することがあったら、私はいったいどうするだろうか? そんなことを思いながら、私は通訳を続けているのである。(MT)

 

医療通訳 · 2020/05/01

患者の家族として感じたこと

対岸の火事だと思っていた新型コロナウィルスによる感染症の拡大で、あっという間に日常生活が一変しました。

みなさんは、いかがお過ごしでしょうか?

お正月に母が亡くなり、ブログの更新が今になり本当に申し訳ありません。

どうしても書かずには前に進まないので、今回は、自分が「患者の家族」を体験した話を書きます。5年ほど前、母が検査で肺に影があると言われたといってから、随分と経つのに、なかなか検査をする様子がないので、診察に初めて同伴した時のことです。医師は、明るい、気さくな先生で話し上手でした。その中で母に「診断名がつくと、真剣に治療をしないといけないからつかない方がいいんだよねえ〜」と話しました。母も調子を合わせて「そうそう、がんでも治療はしませんから」と答えていたのを聞き、びっくりしました。

初期にがんが見つかるのは、幸運なことだからです。でも放置しておけば進行して、治療の選択肢も減り、自由に生活できる時間も短くなります。その後、ぐずぐずとしているうちに腫瘍が大きくなり、先生は慌てて母が名前を挙げた大学病院に紹介状を書いたのでした。

次にきた大学病院の分院は、腫瘍内科と外科が一緒に治療をしてくれる病院でした。そこで先生に「4期に進行しているので、手術はできないので化学療法のみを行う」ことを告げられ、母はびっくりしたのでした。私は母に「でも、治療しないんじゃないの?」と聞くと「そんなことはない、みんなのために頑張る」というのです。母は、理解力のある自立した女性でしたが、それでも命に関わる病の確定診断がつく恐怖から目を外らそうとしたのでしょう。こんなとき専門家である医師の役割は、患者の気持ちを汲み取り、立ち止まってしまった患者が前に踏み出すきっかけを作ってあげることなのではないでしょうか?

最後の入院時、突然認知症のような症状が出ました。先生は「認知症」の一点張りです。認知症にしては進行がとても早いので、脳神経内科の先生に診断、アドバイスをもらいたいと何度かお願いをしました。入院当日に撮影したMRIを読影された脳神経内科の先生は「脳転移」と言われたそうです。しかし治療もないまま、話も食事もできなくなり、薬も飲み込めなくなり治療中断となりました。治療ができなくなる=医師の仕事おしまい、なのかと今でも疑問に思うのですが、家族とのカンファレンスも立ち話も2ヶ月間なかったのです。

患者が自分で決めた主治医とはいえ、当たり外れがありすぎるのではないかと思いました。医師免許を持ち、専門医を標榜して、高度な技術も身につけていたとしてもそれだけでは足りません。相手は感情を持つ人間です。医師には、患者を思う気持ち、コミュニケーション能力も必要です。また、プロとして患者に最大限の治療やケアを提供する努力、Quality of Careを理解する必要もあるでしょう註)。資格は、もちろん大事です。でも今回の件で、資格だけではその人のトータルな能力は測れないことも改めて痛感しました。

コロナ禍により多くの地域では、対面通訳が中止になり電話通訳に切り替わっています。たとえ物理的に寄り添えなくても、少しでも患者さんの気持ちに添える通訳を目指したいものです。そのためにどうすればいいのか・・・? 分からないことだらけですが、電話通訳でもできること、対面通訳でしかできないことが、今後はっきりしてきそうです。

NAMIは今年も、医療通訳と患者さんのために、できることを進めていきます。(N.M.)

註)WHO: What do we mean by Quality of Care? https://www.who.int/maternal_child_adolescent/topics/quality-of-care/definition/en/

 

医療通訳 · 2019/12/31

AIと医療通訳

今、この記事を読んでいる医療通訳者のあなたは、AIに対してどのようなイメージを抱いているだろうか。

12月21日、愛知県立大学主催のシンポジウム「AI時代と多文化共生」が開催された。筆者が10年前から非常勤講師として勤務している当大学は、外国語学部の他に、看護学部、教育福祉学部、情報科学部があり、コミュニティ通訳を学んだり、コミュニケーションツールを開発するための学内連携が可能な環境にある。

このシンポジウムでは、防災、教育、医療など様々な角度からAIとの関わりについての議論がなされた。そのほとんどが、好意的なもので、言葉や文化の壁をうまくAIを使って乗り越えていこうという前向きな議論であったと思う。

10年ほど前、まだGoogle翻訳もいまいちで「Good Morning」を「よい朝」と訳していた頃は、逆に通訳に関して「機械翻訳の性能が上がればなくなるだろう仕事」という意見が多かったように思う。機械翻訳が、近い将来、人間の通訳者と同じくらいの性能をもった通訳ができるようになるであろうと誰もが考えていた。その頃に比べると、ここ数年で機械翻訳の精度は急速に上がったと思う。やればできるじゃないかというレベルだ。しかし、逆に「なくなる仕事」の中に「通訳」がでてこなくなった。機械翻訳の性能が上がれば上

がるほど、その限界と通訳者との棲み分けが明確になってきたと言わざるを得ない。

もともと医療通訳の使命は、医療現場で患者や家族が言葉の違いで困らない環境を作ることである。単なる言語の置き換えであれば、機械翻訳で可能な場面は増えてくるだろう。特に、医療通訳者のいない地方都市では、いかに「やさしい日本語」と「音声翻訳ソフト」をうまく使うかというユーザートレーニングが鍵となる。

しかし、日本の外国人医療においては、未だ医療通訳者が様々な調整や文化的な介入を行わざるを得ない状況があることも事実である。医療通訳に求められるものは場面によって違う。今後、どちらが生き残るかではなく、機械翻訳との共存は私たちにとっても重要な課題である。

また、この議論と真摯にむきあわなければいけないのは、医療通訳者を育成、選抜する機関であることは明白である。AIと同じ能力の医療通訳者を育てても、近い将来、AIのメリットのほうが上回る。そうでなく、医療通訳者が行うべき領域を見据えた上で、対人援助職としての力量をもつ医療通訳者をどう育てていくかを考えていくべきである。(N・M)

 

医療通訳 · 2019/12/21

アジア言語の医療通訳をしていて思う事

■自動翻訳機

少数言語の通訳は人を探すのが大変だということをよく聞く。在日外国人の数から推して、その理由は、たんに専門知識が不足しているというだけではなさそうだ。現に、いくつもの研修を重ねてきたネイティブは引く手あまたで、今や通訳料の高い依頼を秤にかけている。交通費込で遠方となると、時給にして学生アルバイトの最低賃金すらもらえず、ゆうに半日は潰れてしまうときもある。そんな条件で、いつも快く引き受けてくれるネイティブの人は、”ボランティア”の中では少ない。

少数言語の通訳のほとんどは医療関係者ではない。日本に来て、通訳技術と同時に、医療に関する知識も独学で習得している人たちだ。ネットはもちろんのこと、あまり役に立たない現地語の辞書を何冊も併用し、一生懸命に勉強をしている。無料の研修会にも積極的に参加している。しかし、何万円もかかる研修会には、「高すぎるので(そこまでして)行く気はない」と明言している。したがって、ロールプレイを企画しても人が集まらない。つまり、あくまでも医療通訳を”専門”にしようとまでは考えていない。したがって、日々の経験の中から多くのことを学んでいく。回数を重ねれば重ねるほど上達しているのが目に見えてわかる。

ところで、研修会であるメーカーの自動翻訳機が話題になっていた。「とくに少数言語は、病院でこれがものすごく重宝しています。みなさんのところでも是非!」と強く勧めていた。確かに医療現場では、何よりも実用性がものをいう。まったく日本語のわからない患者さんにとっても、この上ない有難いものなのだろう。しかし複雑なケースになってくると、やはり自動翻訳機では頼りにならない。これまで少数言語の医療通訳者の多くは、まずは簡単なケース、あるいは限られた診療科から経験を重ね、複雑なケースに対応してきた。この先、自動翻訳機が広まっていくと、逆に、簡単なケースで通訳経験が積めなくなるため、ますます経験豊富な通訳者を確保することができなくなってしまう。そう危惧するのは自分だけなのだろうか。

■何が患者のためなのか

医療観察法― 初めて聞いた言葉だった。法律を専門としている友人に聞いたところ、『酒鬼薔薇聖斗事件』の後にできた法律で、全国の都道府県に1カ所は専門病棟を設置しようということになったが、あまりうまく機能していないという。

ある日、医療観察法病棟で入院治療をしなければならなくなった患者の医療通訳に入った。家の中で暴れだし、妻に暴力をふるい収集がつかなくなったため警察に保護された。統合失調症と診断され、裁判の結果、医療観察法による措置入院となった。日本語がほとんど話せない中で、この専門病棟に最低2年間はいることになる。退院間近には、職員を帯同しての外泊も治療計画に入っている。

通訳当日、病棟に案内されると、そこはまるで塀のない刑務所のようだった。病棟での生活も刑務所と同様、いたって"規則正しい健康的な生活”のようである。しかし患者の国では、いわゆる「食事」は1日2回、その間に3回のティータイムがある。さらに食べ物も、日本食とは全く違う。患者は日本にいても、その生活スタイルを変えていない。

ある時たまたま、別の病院の精神科研修に参加する機会があったので、このようなケースの場合、本国に帰国することが可能なのかを質問した。前例はないが可能である、というのが結論だった。この日本社会では「前例がない」というだけで、それはかなりハードルが高いのが現状である。患者の国にも、統合失調症の専門病院はある。たとえ2年間の治療を完了しても、その時にはビザが切れていて、帰国せざるを得ないことになる。社会復帰を最終目的とした入院治療ではあるが、それはあくまでも日本社会での復帰が前提となっている。言葉も文化も違う中で、”日本式”を強要することが、本当に外国人患者のためになるのだろうか。

(E.K)

 

医療通訳 · 2019/09/17

通訳の「勘」

勘が鋭い、勘が鈍い、勘がいい、勘がさえる、勘が当たる、勘が働く、など「勘」という文字は、あまり科学的根拠がないような場合に使用されることが多いと思う。辞書を調べると「勘」とは物事のよしあしを直感的に感じ取り、判断する能力、とある。

ところが医療通訳の現場では、この「勘」がものを言うことがあるのだ。

ある日の病棟での出来事。

先天的な酵素の欠如でミルクを定期的に与えなくてはならない赤ちゃんのアテンドをした。退院に向けて 経鼻栄養で赤ちゃんにミルクを与える方法を母親が学ぶに当たり、看護師からの説明を通訳する、という場面だった。まず細い、細いチューブを鼻から挿入し胃まで届くようにする。チューブにつけられたマークが頼りだ。それからミルクを注入するわけだが、少し注入したら母親は聴診器を赤ちゃんの胸に当ててその音を聴く。間違いなく胃に届いていたらこのような音がするはずだ、というそれを母親は会得しなければならない。

「もし間違った場所に入ったら誤嚥性肺炎を起こすかもしれないので充分注意してください。」

という看護師からの説明だった。

ミルクを与える時間が来るたびに、看護師の見守る中、何回も練習を行ったが、それは、もちろん鼻からチューブを気道ではなく食道に通すのに慣れるためであった。また、間違えて気道に入ったら肺炎を起こす可能性があることを理解することも重要であった。

ここで通訳しながらその母親の様子を見ていた通訳は、どうもこの母親は肺炎を理解していない様子であること、それが命に関わる病気と捉えていないことに気がついた。

「はい、はい」と聞いている患者母親からはそれを伺わせるような発言はなかったのだが、これが「通訳の勘」だと思う。

ちょっと聞いてみたら案の定、この母親は肺炎がどのような病気かを知らなかった。

それが分かった通訳は看護師にその旨を説明し、医師から説明して頂けるように依頼した。

医療現場で、患者に「分かりましたか?」と聞いて「はい、わかりました」と答える患者は多い。また、国によっては、医師の言うことに対して患者は決して異議を申し立てず「はい、分かりました」と言わなければならない文化がある、と聞いたこともある。

この「分かりました」が難しい、と思うのだが、通訳の中には、患者が「分かりました」と言っているのだからそれ以上何を言う必要があるのか、と言う人もいる。それはそれで間違いではないだろうが、もう一歩踏み込んだ対応が必要になることもあり、それが患者の理解を深めることにも、適切な医療につなげることにもなる。

この「勘」は何回も場数を踏んだ通訳者が、その豊富な経験値から、知らず知らずの内に身につけることが出来る種類のスキルではないだろうか。特に評価されることはないかもしれないが、昨今出回り始めている翻訳ツールがおそらくは習得できないであろうスキルとして、大切にしたいと思っている。

ちなみにこの患者は同じ通訳が次にアテンドした時に「肺炎って知ってる?とても怖い病気なんだよ」と教えてくれたのである。

どのような医療行為も科学的に裏付けされているはずだが、考えてみれば、血液検査時、針を刺す時も、まずは静脈の位置を大体探り当てた後、どのような角度で、どのくらい深く針を刺すのか、は「慣れ」と「勘」で培ったスキルで行っているように私には見えている。(Y.Y)

 

医療通訳 · 2019/08/30

つぶやき

長年携わってきた医療通訳を思い返すと、医療者と患者との意思疎通をサポートする時は現場の喜怒哀楽を共にする時間でもある。一方、中立的立場を貫き、感情移入しないことは医療通訳者として大事な心構えである。

今回は医療通訳現場の外で日頃の思いを呟いてみたいと思う。

【訳者と役者】

現場で通訳者は一人で医療者と患者の二役を演じている。通訳の事前準備は役作りのような作業でもある。しかし、台本はないので現場に入ってからいきなり本番になる。適切な訳出や状況判断を求められ、度々実力を試された経験から、日頃の自己研鑚と仲間との切磋琢磨の大切さを思い知らされた。

【共にいる】

「患者が泣いたら通訳者も泣きますか?」と時々聞かれるが、この質問に正解はない。厳しくかつ難しい現場では、医療者と患者の言葉を的確に訳出する際に

通訳 者自身の気持ちを意識する余裕はないというのが私の経験。一方、患者の思いに共感すると共に一緒に泣くのではなく、患者の涙を拭いてあげられるよう心掛けている。

【自己点検】

通訳者も生身の人間、難しい現場実践の前、あるいは全力投球した後、

プレッシャー、ストレスや疲労が募っても不思議ではない。時には自己点検して自分をいたわることが大事。私は各医療機関の近くでお楽しみスポットを見つけたり、医療通訳仲間と手芸を楽しんだりしてモチベーション維持している。

「現場では一人だけど一人じゃない」、私は現場に育てられて仲間に支えられている。

(P.S)

 

医療通訳 · 2019/07/11

児童虐待かも…?

児童虐待による痛ましい事件が相次いでいる。その原因の一つに孤立した子育て環境によるストレスがあることを考えると、異国で生活する人たちの中もリスクのある家庭はあるだろう。

実際、私も児童虐待が疑われるケースの通訳を担当したことがある。2歳くらいの子供が怪我で何度か外来に訪れ時には入院することもあったのだが、親の話からするとその怪我の部位や程度が不自然で、もしかしたら虐待ではと病院側が心配した。それまでは親が友人を通訳として連れてきて医療スタッフとコミュニケーションをとっていたが、もっと詳しい話を聞いて説明するため、病院側が外部から医療通訳を雇ったのである。

カンファレンスルームに、医師、看護師、ソーシャルワーカー等医療チームと、患者の父親といつも通訳を務めている友人も同席し、別室では児童相談所のスタッフが控えているという場面だった。通常の診察と違い、このように複数の人に囲まれ、さらにもう一人通訳者がいる前で通訳するのは試験を受けているようで非常に緊張する。とにかく、「足さない・引かない・変えない」という通訳の基本と、中立という自分の立場を守り、冷静に正確に通訳することを心がけた。結局その場では虐待と判断できなかったようで、児童相談所のスタッフも登場せずに終わった。

このような場合は、やはり患者や医療機関と利害関係のない、派遣型の医療通訳者が担うのが適切だろう。児童虐待防止法や児童福祉法が改正され、医師や児童相談所の役割が強化されることになり、日本で暮らす外国人も増加している今日、通訳の出番も増えるかもしれない。国籍や年齢にかかわらず、だれもが安心して医療サービスを受けたり、生活相談できる社会になることを願いつつ、自分も医療通訳者としてさらに研鑽に努めようと思う。(Y.S)

 

医療通訳 · 2019/07/01

医療通訳者のメンタルヘルス

最近、「難しい手術」の術前・術後説明の医療通訳が続いている。また、病院へ来たときは元気だったのに急激な悪化で死地に赴くかたの家族への通訳、末期がん患者の通訳なども・・・

「難しい手術」の説明というのは、通訳者的にはとても訳しやすい。難しいことを医師も十分承知しているため、とても具体的に話をしてくれる。こういうこ

とをする、こういうことをしたという明確な話とともに図を描きながら説明してくれることが多く、それを集中しながら訳すというのはそう快感すらある。その内容がどんなに過酷であってもである。それはなぜかと自分に問い返すと、医師、患者、通訳があたかもチームになったかのように互いに理解を深めようとするからではないかと思う。しかし、一方、そういう通訳の場合、その場で通訳をするだけではなく、手術に至るまでの患者の受診での通訳があったり、患者の家族の通訳をしたりすることで、患者のこれまでの人生を知る機会も多い。そのことが、通訳をすることに影響することはないが、通訳者の心の中には澱のようにたまるものがある。知らないうちに予後についても心配している自分がいるのである。また、本人が病院へ来た時には、命にかかわるようなものには思われず、言葉も交わしていたのに、急激に悪くなり、本人はもう話すこともできず、家族への告知といった通訳に進んでいくこともある。最後まで生きたいという気持ちを表現し続けて、この世を去っていく末期がん患者の通訳もある。このような場合も、通訳をすることには何ら影響はないが、通訳者の心の中には知らないうちに何かがたまっていく。

守秘義務でしばられている医療通訳者は、現場で何が起こったか、患者の情報、それに対して自分が思ったことを吐き出すところは、どこでもよいというわけにはいかない。

しかしながら、本人が気づかないうちに澱はたまっていくのである。私の所属している団体では、守秘義務を持った者同士のピアカウンセリングを行っている。そこでは、とめどなく涙を流すこともある。そういったことが、医療通訳を続けていく中では必要だと感じている。共感、共有できる仲間がいるというのは本当に心強いことである。

精神的に強くなれば良いという話ではなく、辛い時にはつらいと言え、精神的な健康を保てる医療通訳者が良いパフォーマンスを発揮できると私は思っている。(NAMI会員 ya)

 

2019/04/22

母語と文化 ~手話通訳について知ったこと~

昨年から今年にかけて、なぜか手話通訳の研修の場で医療通訳についてお話しする機会が多く、我々外国語通訳と比較することでいろいろ気づかされた。

まずは、自分自身がいかに「ろう者」の皆さんの背景に無知だったかということ。そしてそれと同じくらい一般の人は、「外国人」の背景を知らないという事実。自分たちが当たり前と思っていることを当たり前と思わず、何事も粘り強くコミュニケーションしようとする姿勢、わかりやすい言葉で伝えていこうとする姿勢が、どんな場合も大切だと改めて感じた。

それはさておき、私が最近まで知らなかった「手話通訳の問題」について、少しお話ししたい。

手話には、主にろう者が使う「日本手話」と聴者が使う「日本語手話」があると聞いていたが、どれくらい違うのか見当もつかず、(結局“日本語”であることに変わりないのでしょ?)とか(最終的に筆談という手があるのでは?)などと思っていた。しかし、日本手話を教える国立障害者リハビリテーションセンター学院の生徒さんたちに聞いたところ、日本手話は、日本語とは語彙も文法体系も異なる「外国語」だとのこと。手話教室などで学んだ日本語手話(日本語を置き換えた対応手話)が手話だと思って入学した生徒さんは、ついていけずにやめる方もいるそうだ。

それほど違うのに、全国のいわゆる手話教室で教えられているのは、日本語(対応)手話なのだそうだ。2つの手話が違う言語だという認識が薄く、ろう者ネイティブの手話を間違っているとか、ろう者の理解が悪いと考える聴者通訳もいるそうである。

ろう者にとっての「母語」である日本手話とは?日本で生まれ育ったのに、なぜ日本語が母語ではないの?を、私なりに想像してみた。

一般的に我々は、耳と目を両方使って言語を獲得していく。だれかの話す言葉の“音”を聞き、自分で真似て発声しそれを自分の耳で確かめ、音がそのまま書き言葉になった文字を見て頭の中に定着させていくのではないかと思う。音のないところでどうやって言葉を覚え、それを紡いでメッセージを伝えたり理解していくのか、そこには違うプロセスや、物事の認識の仕方があるはず。最も自然でcomfortableなコミュニケーション方法として身に着いたもの、それが「母語」なのだろう。

付け焼刃の私にはとてもこれ以上話せないが、関心のある方は以下の資料をどうぞ。ろう者の方の「母語と文化」を少し身近に感じられるようになると思う。

「日本手話とろう文化-ろう者はストレンジャー」 木村晴美(生活書院)

「日本にあるもう1つの言語」 https://synodos.jp/education/12917

一般の日本人は、ろう者に独自の言語や独自の文化があるなどとまったく思ってないだろう。医療現場で「ことばと文化の橋渡し」役をつとめる手話通訳の皆さん、ご苦労が多いと思う。相手が外国人であれば、きっと文化が違うはずと誰もが思うだろうから、通訳者が文化的な仲介をする場合も、医療者は耳を傾けてくれるように思う。(yi)

 

医療通訳 · 2019/03/29

On some considerations of the interpreter...

Through the years, I have come to understand different aspects of the interpreting task. Aspects of which I was completely unaware. Even though I worked as an interpreter before, these aspects only became visible to me from the moment I started to read more and more about interpreting and, specifically, medical interpreting. These aspects can easily go unseen because they can also be applied – in a way or another – to different situations of everyday life. It felt as if a lot of those things made sense only when seen from far away, from another position, from a different perspective: that of the observer.

‘What should we interpret? How should we interpret? What should we not do? What is expected of us? How should we react? How to deal when that or this happens? What aspects should we take into account when interpreting? How should we decide whether to react or

mediate during interpreting sessions?’ These are, among others, just a few questions some of you may have asked yourselves when you decided to embark on the journey of interpreting – in its different and, maybe, not (positively?) acknowledged forms. I think that the list of questions is so long that the abovementioned ones are just a mockery of all those you have asked yourselves once.

However, questions are supposed to exist for the sake of finding answers. Having said that, from which of them should we start? Which question can we answer first? Even if there will not be any agreement about which to try to answer first, I think that it would make sense to start from the very beginning, as funny as it may sound.

Interestingly, thinking about the task of interpreting itself can give us some clues. If we think on all the elements (the languages, the type, the time, the parties/agents, the circumstances, the modalities, etc.) that are involved in any type of interpreting, maybe the only thing they all have in common is to reach the ultimate goal of communication between people that do not speak the same language through the reliance on a third party: the interpreter.

So, despite all the other elements, let’s focus now and for the time being on the interpreter. For sure, we know that the interpreter has to have a large general and specific knowledge on the specific topic of the interpreting session. and a high fluency in the languages they work with. Also, they have to know about the conventions of the type of interpreting they are doing, for example, the conventions of the legal or medical system of the country they are working. Extensive training and experience are not a must nor a common reality, but of great help for the task. And last, but not the least – nor the real last one – the knowledge of cultural factors. In this sense, biculturalism and bilingualism may become our greatest friends when interpreting.

But then, are we forgetting to mention something? Maybe…

Until now, we have been talking about the tools that the interpreter is expected to have or develop, or those tools that have proved to have positive (and ideal) results. Yes. But we have not talked about how interpreters internalize the message in their heads to construct, with the help of those tools, an interpreting statement. We do

not know if they even use those tools when constructing the meaning of what has been said. It is maybe an unconscious activity of the brain.

Maybe we are focusing on how to use the tools after having understood a certain message or statement from any of the parties of the interpreting session. However, what can we do to understand properly and accurately the meaning of what has been said in the very first place? This is not related specifically to the interpreting flow, but to the communication flow between two parties. Maybe, if we explore and give the needed importance to this aspect of the communication, we can have a better management of how to interpret a message in our heads. Also, we would be learning how to manage those tools during the understanding process of any message and its formulation as an interpreting statement... Hopefully, this can be achieved through practice and training.

(E. C)

 

医療通訳 · 2019/03/19

医療通訳の立場

病院での待ち時間は長い、そして、どうすればいいのか困る時もある。病院の待合室での長い時間を「患者さんとどう過ごすか」が通訳仲間達と勉強会で話題になったことがある。それほど難しい。

日常生活と違う、慣れていない病院での、そのうえに他国での受診という不安を少しでも和らげるため、できるだけ寄り添うように心かけている。

しかし、公私をわきまえて付かず離れずの態度を取るのは意外と簡単ではない。

そればかりではなく、相手によりとらえ方も様々でそれぞれ違う。

国民性も少ながらず影響しているかもしれない。

色んなタイプの患者さんがいるのである。

病院側から、「今日は通訳が来ます」と説明されていなくて戸惑っているのか、そもそも通訳といえ、知らない人が私生活に入ってくるのが嫌なのか、露骨に嫌な顔をする患者さんもいれば、嬉しそうな顔をしてくれる人もいる。

待合室での過ごし方も様々である。

私が経験した中で最も辛かったのは、患者さんの終わらないおしゃべりに付き合った時の事である。3時間ずっと身の上話を聞かされた挙句、私が誤訳をしていたと言ってきた。幸い、すぐに疑いが解けて問題にはならかったが、驚いた。また、待ち時間が長くて昼食を取れていないのを心配してコンビニで買ってきたお握りをずっと勧めるので断ったら、さみしい顔をしていた優しい人もいた。私に親しみを感じたのか荷物を持たせて平気な顔をしている人もいる。ある緊急入院になった患者さんには、帰り際に「どこそこに住んでいる友達に自分の入院事実を伝えて欲しい」と頼まれ、断ったら納得できない顔をされた事もある。

所属団体のルールで、通訳者は、患者から食べ物や謝礼は受け取らない、また荷物を持ったり、伝言をしたりというコンシェルジュのような業務はしないことになっているのだ。

もちろん困ったことばかりではない。

症状がとても重くて、定期的に病院に来て薬を飲まなければ、いつ倒れるかわからない、外来患者さんの奥さんに「病院に来たら一日つぶれてお仕事もできないし、何よりお金が続かないので次から通院できません。今日が最後です。」と言われて「地域相談室」に同行して相談を受けた。事態を重くみた社会福祉士さんの親切で、その場で区役所の生活保護担当者に連絡を取って事情を話して無事に生活保護を受けられるようになったことがある。医療通訳に関わって10年目に入った私の通訳活動の中で、一番、人の役に立ったと思える経験だ。

(K.K)

 

医療通訳 · 2019/01/03

NAMIは、2歳になりました!

みなさま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2016年12月8日に産声を上げてから約二年が過ぎ、NAMI会員数も220名に増えました。本当にみなさんのご支援に感謝しています。

去年は全国4拠点、東北、中部、中国・四国、九州で「通訳医療システム課題検討会議」を開催し、医療通訳システム作りに関する悩みや課題を関

係者から直接伺いました。また横の繋がりの場にもなり、「地域のシステム作りのきっかけになった」という参加者からの嬉しいご報告もいただきました。会議の内容は、冊子ならびにHPにまとめてアップ予定です。ご協力くださいました皆様、ありがとうございました。

医療通訳者のハートにあたる「倫理綱領」や「行動規範」については、現在「NAMI行動マニュアル」を委員会メンバーで作成中です!完成しましたら、会員の皆さんからもご意見を頂きたく存じます。もう少しお時間くださいね。医療通訳50時間CHIP研修も引き続き開催し、毎回20名近くの皆さんにご参加頂きました。ありがとうございました。

今月12、13日には神戸市看護大学との合同シンポジウムが開催されます。テーマは「病院や地域での医療通訳活動ならびに医療従事者との連携」です。母子保健分野での通訳、院内通訳者の活動や課題について議論をいたします。ぜひお越しください。

さて、私は去年何をしていたかというと、大学で「公衆衛生」を学んでいました。

「パブリック・ヘルス」とも呼ばれ、大きな枠組みで健康を考える学問です。医療福祉や行政制度、健康格差や貧困、病を引き起こす社会環境とは・・・など、まずは大きな枠組みを学び、その中で医療通訳を必要としている方はどのような方なのかを理解してみようと思いました。世の中には、不公平がたくさんあります。「君は、どの程度の不公平なら許容できると思うか?怒りを感じる不公正さとは何か?怒りの心と冷静なマインドで不公正さに取り組んでいこう・・・」と大学関係者が話すのを聞き、必要な医療を必要な人が、いつでも安心して利用できる、という当たり前のことを日本で実現するためにも医療通訳の普及を進めていかないといけないと強く感じた1年でした。 (N.M.)

 

医療通訳 · 2018/10/06

通訳者の介入行為

最近、手話通訳における医療通訳の研修の講師を行う機会が多くなった。手話通訳は、資格制度もあり、通訳報酬も高額ではないが、国の制度の一つとして支給がされる(場面や回数に制限がある場合もある)。しかし、音声言語通訳と共通する課題も抱えている。

それは、手話通訳士という資格制度があるといっても、通訳システムを支えているのは、手話サークルで手話を学んだボランティアが多いということ。そのような人たちが、各福祉事務所や支援センターに登録している手話通訳者たちのレベルはバラバラで、医療などの専門用語を適切に訳すのが難しい場合もある。また、対人援助通訳の大きな問題として、専門家とクライエントとの力の差がある(情報量や裁量権など)ことから、通訳者が正確に通訳する以外に、専門家とクライエントの両者が理解できるように介入をしなければならない場面があるということである。介入行為は、通訳倫理から逸脱してしまうものであるが、ただ忠実に訳しただけでは理解ができないクライエントに対して、適切な介入を行うことは、クライエントが主体的に自らの問題解決にむけて、コミュニケーションに関わることができるよい機会になる。この部分の通訳者の行為は、ベテランの通訳者のカンや経験値で行われており、外からはわかりにくい。しかし、この部分にこそ、医療を含める対人援助通訳の専門性があると考えるのだが、なかなかその専門性の意義が認知されにくいのである。

手話通訳においても、この介入行為はどのように行えばいいか、悩んでいる部分が多い。通訳倫理に反せず、専門家とクライエントの主体的なコミュニケーションを尊重しつつ、しかし、力の差のある両者がお互いの意見を理解しあえるように、通訳者が介入をおこなっていく。一見すると通訳という行為から矛盾するような行為であるが、この部分をベテラン通訳者は上手におこなっているからこそ、専門家とクライエントがお互いを理解して、信頼関係を築くことができているのだと考えている。

手話通訳の研修において、そのようなベテランの通訳者たちの営みをたくさん聞く。適切な介入がおこなえる通訳者が評価されるように、通訳者の介入行為についての議論が深まればと考える。 (N.I)

 

医療通訳 · 2018/10/04

最近思うこと

8月より、NAMI主催で日本財団の助成を受け、東北、中部、中国・四国、九州の4地区で「医療通訳システム課題検討会議」というものを開催しています。最終が10月14日の九州です。この会議は、地域の実情に即した医療通訳システムの構築のため、各地域の問題点や知見を収集し、医療通訳システム構築の課題を分析していくと同時に医療通訳に関する情報交換や各地で蓄積してきたノウハウの交換が行えるようネットワーク作りを図っていくことを目的としています。参加させていただいて、各地区の地域の実情、また、すでに県を超えてのネットワークがあることなど、これまで知らなかったことも知ることができました。やはり、最近の共通の話題としては、急速に増えてきた、ベトナム、ネパールを筆頭にこれまで日本で医療通訳養成をしてこなかった言語の医療通訳要請へどうこたえていけるかということでした。医療通訳として養成されていないから派遣するべきではないのか、それとも、全くいないよりは、30%しか伝わらなくても派遣したほうが良いのか・・

私たちの立場としては、医療通訳者は訓練された人でなくてはという事を提唱しており、アドホック通訳の危険性を常に提示しているのですが、養成を実際にほとんどできていないそういった言語の方たちからの依頼はどんどん増えており、養成の必要性を日々、ひしひしと感じています。この養成に関しては、医療通訳者としてそれに見合うような報酬が得られ、職業として成立するのであれば、参加者を集めるのもたやすいと考えらえますが、現状のような不安定な状況の中では、なかなか難しいのであろうと思われます。

これまでのように日本語の堪能な人を集めてきて、医療知識をはじめ、医療通訳に必要なことを学んでもらってという事では、立ち行きそうになく、通訳をするにはちょっと日本語がという方の日本語を通訳できるくらいに高めてもらうという研修も同時に必要なのではと思う今日この頃です。(ya)

 

医療通訳 · 2018/08/21

医療通訳者は翻訳マシーンじゃない

何も足さず、何も引かず、医療従事者と患者との間のコミュニケ―ションの橋渡しをする、通訳は自分の意見を述べてはならない、などなど、現場では自分の存在を半ば消して役割を果たす。それが医療通訳者である、と教えられます。

しかしそうは言っても医療通訳者も人間。色々な思いから通訳だけに徹することが簡単でないこともあります。

ある日の診察室で。患者さんはとても元気そうに見えました。通訳付きは初めてで、前回は何を言われているのかよくわからなかった、とのことでした。

診察室に入って座るか座らないうちに医師はこう説明を始めました。「これがこないだ撮ったCTの画像です。ここに白い影があるでしょう?この部分に空気が入っていれば黒く写るはずです。嫌なことを言うようですが、この白い影は癌です。」といきなりの告知でした。あまりに唐突で戸惑った通訳は思わず「先生、それは初めての告知ですか?」と聞いてしまいました。通訳は自分の意見を言ってはいけないのに。昔と違って癌は不治の病ではなく、隠す必要はなく、患者本人に直接病名を告げて共に治療を進めて行くのが現在のやり方です。しかし、そうは言っても癌はやはり簡単な病気ではなく、また国や地域によっては本人に告げないという慣習のところもあります。果たしてそのまま訳していいのか、という迷いもありましたし、また、告知を受けた患者がどのような反応を示すにしても、それを冷静に通訳する必要があり、それなりの心構えが必要だと感じました。正直に言えば通訳として冷静でいられるよう、心の準備のために少し時間稼ぎしたかったのです。医師の「そうです」という言葉の後、一呼吸置いて覚悟を決め、通訳しました。癌と聞くとやはり誰でも少なからず衝撃を受けるのは当然だと思います。しかし、その後の展開は私の想像を裏切るものでした。

医師は「こことここが腫れている、転移しているかもしれず、確定診断のためさらなる検査が必要である」と。続いてその検査の実施方法、合併症の説明、そしてその検査をしても100%の確定は出来ないかもしれない。かなり苦しい検査であるので言葉の通じる母国で実施した方がいいかもしれないという提案がなされました。結局、患者さんは母国での検査を希望され、当院での検査データを後日取りに来ることになりました。告知の瞬間、患者ご夫妻に衝撃が走るという風でもなかったので、ちゃんと伝わったのかな、と若干心配になりました。ごく軽い病気だという認識でいらっしゃいましたので。「後何年生きられるのか?」という質問が出たところでああ、事実を受け止められたのだな、と思いました。

診察室を出たところで「ショックだったでしょう?」と聞くと「NO! 人間はいつか死ぬのです。神がすべてを決めます。私はそれを受け入れます。」と笑顔でおっしゃられました。宗教を持たない私には理解しがたくもあり、羨ましくもある心の持ちよう。

母国で無事検査を終えられ、適切な治療を受けて健康を取り戻され、大好きな日本に戻ってまたお仕事が続けられますように、と願うのみでした。 (Y・Y)

 

医療通訳 · 2018/07/16

「言葉の壁」以外にも・・

薬剤師として、薬を介して患者さんの支援をしていますが「言葉の壁」にぶつかることもしばしばです。たとえば「咳止め」を説明したときは、多言語の医療用語集から探し当てた単語を書き写し発音してはみたものの、患者さんの表情から「理解してもらえた!」という手ごたえは感じられませんでした・・・。何度かそのような経験をしたあとに、おそるおそる医療通訳の人に「咳止めって、どうやって説明していますか?」と尋ねました。すると、ベテランのその方は「私の場合は、咳を取り除く薬、という言い方をすることが多いと思います。」と教えてくれました。

そこで納得。私が書いた単語は、日本語でいう「鎮咳薬」のような表現だったようです。日本人だって「これはチンガイヤクです」といわれたらピンとくるで

しょうか? 実は、「言葉の壁」だけでなく、乗り越えなければいけない「壁」は他にもある、ということに気が付いた瞬間でした。

医療者は得てして「説明」のような一方通行の話が多く、相手の確認を求めたり、患者さんの話をゆっくり聞いてコミュニケーションを積極的にとりにいったりすることが少ないように思います。それが外国人の方だと、なおさら困難を伴います。(もしくは困難を伴うと思い、消極的になってしまいます。)

このような経験からNAMIの部会である「薬局での外国人患者対応委員会」の活動が始まりました。皆さまにもお力を貸していただき、今後よりよい薬局での支援を目指していきたいと思っています。どうかよろしくお願いいたします。

NAMI賛助会員 M.I

 

医療通訳 · 2018/06/04

自立に寄り添う

医療通訳の役割とは、医療現場で日本語を母語としない患者さんと医療者との円滑なコミュニケーションをサポートすること、しかし、日本語を母語としない≠日本語が話せないではありません。

稀ですが、通訳がついていても、患者さんが通訳を使わず、一方的に医療者と話そうとすることがあります。そんなときは、医・患に医療通訳の立ち位置を確認した上で通訳が待機中でも両者の会話を聞きながらメモ取りをします。患者さんが医療者の話が理解できなくなる瞬間に通訳が訳出するための対応策です。とは言え、受付から診察室、検査、会計まで通訳を必要とするケースが圧倒的に多いです。

病や言葉の壁に不安を抱えている患者さんにとって母語で意志疎通することは、ストレスや不安の軽減に繋がります。安心して通院しているうちに、受付や会計が自分でできる → 採血、検査なら医療者とのやり取りは自分で(日本語で)対応できる→ 外来受診も通訳なしで試してみたいと徐々に見えてきた患者さんの自信と自立に幾度大きな喜びを味わってきました。

ある患者さんが話してくれたこと「病名告知の時に大きなショックを受け、言葉が通じない異国で暫く落ち込みました。しかし、主治医は治療方針から治療経過まで常に丁寧に説明してくれたことで辛い治療ですが、自分は徐々に病気を受け入れ、向き合うようになりました。主治医に感謝し、現場で医療通訳に会うと今日も言葉の壁に心配なく受診できると思うとほっとします。」

多くの患者さんの言葉に医療通訳の使命、言葉の壁は乗り越えられないものではないと思い知らされ、勇気を頂きました。☆感謝☆(P.S)

 

医療通訳 · 2018/05/10

医療通訳研修

毎年、JIAM(全国市町村国際文化研修所)で2日間の医療通訳研修があります。 https://www.jiam.jp/workshop/doc/2017/17215/tr17215.pdf

平成28年度のテーマは「医療通訳の基礎」だったのですが、平成29年度は「「医療通訳の取り組み~外国人が安心して医療を受けられるための環境整備~」となり、病院職員やNPO、ネイティブ相談員など、広い分野の人たちが参加されました。以前、医療通訳は地域住民のための権利保障として考えられてきましたが、近年では訪日外国人、メディカルツーリズムなど広がりを見せています。この研修が始まった頃の参加者は、行政か国際交流協会の方々でしたが、近年ではさまざまな人たちが参加されるようになってきました。少し先の話ですが、今年度は31年2月18日(月)-2月19日(火)「外国人が安心して医療を受けられるための環境整備」をテーマに開催される予定です。研修という学びの場所であると同時に、他地域の行政や医療機関の取り組みについての情報交換ができる場所として、今後も続けてほしいなと思っています。 (む)

 

医療通訳 · 2018/04/20

「医療通訳は必要ない」と言ったけど・・・

「英語が話せるから必要ないです」「妻は日常会話はできるので、説明はだいたいわかっているので大丈夫です」

医療現場では時々、医療通訳を紹介してもこんな風に断られることがある。また、同時に医師からも「英語で説明して理解されているから、必要ないんじゃない?」と言われることもある。この場合、医療通訳が本当に必要では

なく、医師が英語や簡単な日本語で説明して十分であるか?それはNoである。

「英語が話せるから必要ない」と言っていた患者さん。医師の説明にいつも「質問はない。わかっている。」と話し、無口な印象。

ところが…医療通訳者が同席した瞬間に堰を切ったように話し出した。あっ、こんなに話す人だったんだ…そしてこんなに聞きたいことがあったんだ。治療上の規則を守れないのは「文化の違い?」「理解が悪い?」「パーソナリティー?」と医療スタッフは関わり方に戸惑っていたが、結果、医療スタッフの説明を十分に理解できていなかったからということがわかった。医療スタッフの患者さんに対する印象が変わる。そして、説明が終わった後に、医師も「通訳に来てもらってよかった」と話し、患者さんも医師もほっとした感じがお互いに伝わった。

「妻には医療通訳は必要ない」と言っていた患者さん。

医療通訳者に同席してもらい病状を説明すると、奥さんは「病名以外わからず不安だったが、安心した」と話された。そして今後の生活で気をつけることなど積極的に質問し、熱心にメモをとられていた。患者さんも「妻が安心してくれてよかった」と話された。

医師や医療スタッフからの説明を正しく伝えること…それは医療者と患者さんのコミュニケーション促進を図り、よりよい医療の提供につながるだけでなく、疾病やけがという人生の危機的状況にいる患者さん・家族への「情緒的サポート」も伴っていると感じる。そして、それぞれが今後の生活において自分自身のこととして、自らが取り組むことへの手助けとなっている。そんな風に「医療通訳」の役割や効果が大きいこと日々実感する。

医療現場では、潜在的に医療通訳を必要としている患者さんが多くいらっしゃる。患者さんの潜在的なニーズを拾い上げ、医療通訳者につなぐことができるように、医療機関のスタッフも医療通訳の効果や役割を認識する必要があると思う。

また、「医療通訳」がどの地域でも同じように活用できる社会を目指して、NAMIの活動が展開されたら素晴らしいと思う。それぞれの立場で取り組むことで、ソーシャルインクルージョンの実現につながるひとつなのではないかと考える。

*ソーシャルインクルージョン:

「全ての人々を孤独や孤立、排除や摩擦から援護し、健康で文化的な生活の実現につなげよう、社会の構成員として包み支え合う」という理念

(賛助会員C.S)

 

医療通訳 · 2018/03/03

私の口から・・・

ご承知のように通訳という仕事は、Aさんの発言を聞き、その内容をそのまま違う言語に変換して、あたかもAさんが発言しているがごとく1人称でBさん(たち)に伝えることです。なので、自分だったら絶対言わないようなフレーズを口にすることもありますが、俳優さんのようにAさんになりきることが仕事の一部になったりします。

これが医療通訳となると、時にその内容が厳しすぎて自分の口からその言葉を発することを一瞬躊躇してしまうことがあります。「あなたのお子さんは、このまま手術しなければ1ヶ月くらいで亡くなります。でも手術しても手術中に亡くなることもあります。どうされますか?」メモを取る手が震えました。出だし、声がちょっと上ずってしまいました。「医療通訳」をしていなかったら、一生他の方に「あなたのお子さんは・・亡くなる・」と自分の口から言うことはなかったはずです。できるなら私のこの口からその言葉を発したくなかったです。訳出に集中することでその通訳を終え、そこで「医療通訳」としての「覚悟」ができました。

続けて流産された方に「よくあることです」とおっしゃる先生。先生にとっては日常のことかもしれないけれど、この目の前にいる方にとっては「よくあること」ではないんですよ~と思いながらその通りに訳す私。案の定、患者さんから無言の哀しい空気が伝わってきました。もちろん先生は、「流産はあなたのせいじゃないよ」とおっしゃりたかったことはわかっていますが、もう一言二言欲しかったなぁと。私が付け足すわけにはいかないし。診察室を出て、つい「よくあることかもしれないけど、よくあることじゃないよね。」と訳の分からないことを口走ってしまったら、彼女、哀しそうな目がちょっとだけ穏やかになった気が。。。気のせいかも。

「あなたの癌はもう全身に広がっていますから。」そうかもしれないけれど、他に言い方は・・・と思いながらその通りに訳出。重苦しい空気を引きずったまま病院を後にし、ずっと引きずったまま。

変わった例。「私はあなたが嫌いなの!大嫌いなの!!!」なぜか夫婦喧嘩の通訳をする羽目に。その日初めて会ったよその旦那さんに

“I don’t like you! I hate you!!!” と言っている私。(ms)

 

医療通訳 · 2018/02/01

アメリカの大学病院でのシャドーイングの体験から

3年ほど前、アメリカ合衆国の大学病院で医療通訳士(Certified Medical Interpreter: CMI)のシャドーイングをさせてもらいました。ベテラン中のベテランYさんのあとを、金魚のフンのようについて回りました。CMIは出勤後、自分のスケジュールをパソコンでチェックし、それに従って広い病院内のすべての科を跨いで走り回ります。CMIが受付に患者を迎えにいくことはありません。受付や会計などの事務的手続きには、Navigatorと呼ばれる一般通訳スタッフがいます。その日Yさんには、15分刻みで医療通訳の予定が詰まっていました。

全世界共通だと思いますが、診察がスケジュール時間通りに進むことはほとんどありません。Yさんは病院中のスタッフを熟知している様子で、時間が押していることをその科の看護師や受付スタッフに伝えます。同時にYさんは次の通訳場所に連絡をいれ、先方の状況を聞き出します。看護師さんは通訳を必要としている患者さんの順番を動かすなど、状況が許す範囲内でやりくりをしてくれます。それでも、到着してみるとすでに診察が始まっていたときがありました。医師は診察室に設置されている電話通訳を利用して診察を進めていましたが、Yさんが入室すると、医師は電話通訳をやめて対面通訳に切り替えました。また、全く間に合わずに、文字通り「ブッチ」してしまった診察もありました。Yさんは事前に医療通訳コーディネーターに連絡をいれて、他のCMIを手配するように要請していましたが、あいにく他のCMIもスケジュールがいっぱいで、都合がつかなかったようです。結局、その診察がどうなったのかはわかりません。医師は電話通訳を利用したかもしれません。しなかったかもしれません。ただYさんには、それに気をもんでいる暇はありません。後にはまだまだスケジュールが詰まっています。Yさんは、「15分刻みはとても無理。でも人員も限られているし、その場でできることをやるしか仕方がない」と言います。日本でその体験談を聞いただけだったとしたら、もっとこうすればいいのに、ああすればいいのに、などと思ったかもしれません。が、現場で一緒に文字通り走り回っていると、私の頭の中で考えつくことなんて机上の空論でしかないことを、実感せざるを得ませんでした。

ある診察中、患者さんが服用中の薬のリストを取りだして、Yさんに手渡そうとしました。Yさんは即座に、「CMIはリストを見る必要はありません。あなたから直接先生に渡してください」と言いました。患者さんは、少し戸惑った様子を見せながら、リストを医師に手渡しました。私はYさんの斜め後ろで、一瞬「えっ!?」と思いました。私の「えっ!?」には、二つの驚きがありました。一つは、「通訳するときに薬のリストを見たいと思わないの?」という驚きです。私にとって、医療用語の中で、薬剤ほど名前にしろ効能にしろ覚えにくいものはありません。これにはYさんのCMIとしてのゆるぎない自信と誇りを感じ、私は尊敬の気持ちでいっぱいでした。もう一つの「えっ!?」は、Yさんの様子があまりにもドライで、少し冷たく感じたことへの戸惑いです。ふりかえってみると、Yさんは、決して患者さんや家族に話しかけたり、雑談をしたりしませんでした。診察室で患者さんが待っているとしても、医師より先に診察室に入って自己紹介をすることもありませんでした。すべては診察室の中だけの言葉のやり取りです。なるほど、CMIの理想形はYさんにあるのかもしれません。ただ、これを日本の医療現場でやったらどうだろうと、考えないわけにはいきませんでした。日本社会はまだアメリカほどには、老若男女にわたって個人主義が浸透していません。加えて、現在の医学教育や看護教育の中で、医学生や看護学生が、患者の文化や言語に配慮した医療ケアについて学ぶ機会はあまりありません。日本とアメリカでは、そうした状況が異なっています。Yさんのシャドーイングを通して、今の日本の医療現場で、患者さんの文化的あるいは社会的背景に思いやることができるのは、やはり医療通訳として介入する人ではないかな、と改めて強く感じました。そして医療通訳者が、臆せずに堂々とそうした役割を担えるような立場にあってほしい

と感じました。少なくとも今の医学生や看護学生が、現場で中堅として活躍する10年後くらいまでは。

(R・O)

 

医療通訳 · 2018/01/15

NAMIは1才になりました!

みなさま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2016年12月8日に産声を上げてから約一年が過ぎました。設立イベント「全国医療通訳者セミナー ミニ!」を皮切りに、夏には全国大会、医療通訳50時間(CHIP研修)も実施いたしました。会員数も170名に増えました。本当にみなさんのご支援に感謝しています。

今年二年目はじっくり腰を据えて考える1年にしたいと考えています。医療通訳の認証制度の議論が中央で行われていますが、少し考えてみましょう。まず、はじめに来るのは「医療通訳のあるべき姿」です。そのあるべき姿を文書化したものが「倫理綱領」や「行動規範」です。つまり通訳者としてのモラルや行動ルールです。それを実際に身につけるために「研修」があり、その学びが身についているかどうかを評価するのが「認証制度」なのです。

認証試験をどう実施すべきかが話題となっていますが、実はまだ医療通訳者として最も大事な「あるべき姿」と「倫理綱領」や「行動規範」が十分に議論されていません。

NAMIでは今年、医療通訳者のハートにあたるこの部分に取り組んでいきたいと考えています。全国の会員の皆さんにも関わってもらい、みんなで作り上げていきたいです。

どうぞお力を貸してくださいね。

N.M.

 

医療通訳 · 2017/12/19

「立場変われども、医療通訳は変わらず」

医療通訳という存在を知ってから、早いもので6年を迎えようとしています。県の医療通訳ボランティアを経て、医療事務、病院事務職へと立場は変わりましたが、医療通訳をライフワークとしていきたいという気持ちに変わりはありません。

私は、医療通訳として、二度のターニングポイントがあったと思っています。一度目は、県の医療通訳ボランティアとして派遣されていた頃、末期の胆管がん患者さんの通訳に呼ばれた時のことです。翌日早朝に退院して帰国の途につく患者さんのご家族へ、病状説明、画像を用いての診断疾患名の変更説明、今後の治療方針、麻薬の国外持ち出し手続きや帰国手配まで説明するというものでした。医療スタッフとも、患者さんご家族とも初対面の中、予習の必要性と効果を痛感しながら、文字通り冷や汗を流しつつ必死で対応したのを、今でも忘れることはできません。

二度目の転機は、偶然にも、勤務先の病院で医療通訳として医療チームに加わることになった時のことです。勤務先に医療通訳というポストはありませんが、やむを得ない事情で、定期的な薬の服用と受診が必要な患者さんに、2度の入院と外来の長期に渡って関わった事例でした。患者さんとの関わりが密になる分、医療における多文化対応に直面して戸惑い、チーム内で頭を悩ませたことも少なくありません。私個人も,医療通訳として関わるのか,病院職員として関わるのか、患者さんとの関わり方に迷って、チーム内や医療通訳の大先輩に相談することもありました。そのような中で、私が常に意識していたのは、自分単独で患者さんの対応をしないことでした。医療通訳は単独では成り立たない、話者がいて始めて必要となる存在です。常に他のチーム員と一緒に対応をし、本来の医療事務職員として対応をしなくてはならない時には、ソーシャルワーカーに同席してもらうことで、自分自身はもちろん、患者さんもチームメンバーも“医療通訳”との意識を持ちやすくなったのではないかと自負しています。そうして、医療通訳として、そこで話されたことを足さず、引かず、変えず、中立を守るよう心がけました。

『一期一会の医療通訳もあれば、チーム医療の一翼として患者さんに長く寄り添う医療通訳もある。』当たり前のことではありますが、そのどちらにも必要なのは、適切な医療の実践のための正確な通訳と、患者さんとのいい塩梅の距離感だと、これらの事例から教わりました。

二度目の事例が契機となって、今では、症例検討や医療通訳の必要性について学会発表の機会をいただくようになりました。病院職員が医療通訳の必要性を発信、医療通訳の在り方を提案するのは珍しいと、院内外で関心を寄せていただくことも増えてきています。医療通訳者と病院職員の両方の視点を持ったからこそ気付くこともあるはずとの思いで、日々業務や学習に臨んでいますが、まだまだ道半ば。迷った時にはターニングポイントを振り返って、果たすべき役割を考えながら一歩一歩進んでいきたいと思います。

(NAMI会員:M.A)

 

医療通訳 · 2017/12/01

日本社会制度の中の外国人コミュニティ

ネィティブの互助グループ主催のコミュニティ通訳の研修会において、日本や自治体の制度についての説明をすることがあります。終日の研修会なので、美味しいブラジル料理やペルー料理のお弁当ランチを頂くことは私の楽しみの一つになっています。

コミュニティ通訳は生命や生活を支える通訳ですが、行政、教育、福祉、医療など活躍場面は多義に渡ります。通訳者は外国人の困りごとにおける専門職のアドバイスを、外国人にわかり易く伝える役割ですが、その通訳する事項の知識や情報が体系化されていないまま、日々の業務に忙殺されていることも多いと思います。知識を体系化することは、問題領域の位置付けと別の知識との関連性や全体像を把握する上での基盤となります。

それにはオブザーバー、もしくは「メンター」のような存在が不可欠だと考えています。それも母語文化が異なるメンターです。

ネィテイブのコミュニティ通訳者は、日常における情報でも日本語による情報には疎遠となることが多く、災害時を含む緊急時など非日常の情報の入手方法や対処方法が不足しているように思われます。そんな彼等に日本の社会制度、システムとその動向について、定期的に情報提供することは、日ごろ母語による感情労働で精神的疲弊に晒されているコミュニティ通訳者にとっては、自己の感情と知識の整理が可能となり、コミュニティと自分自身の目指す方向性が明確化されることにつながります。

情報量の少なさは噂や偽情報が蔓延する原因となります。「外国籍は○○適用にならない」「○○ならば○○が貰える」等々、コミュニティ通訳者でさえ真偽不明な情報に振り回されているように感じます。冒頭の研修会の参加費は5回で1万円ですが、半径100Km以上の遠方から参加されることも珍しくありません。因みにその日は暴風警報発令中にもかわらず60名のコミュニティ通訳者が参加されました。

コミュニティ通訳を含む、行政通訳、医療通訳においては、通訳コーディネーターとは別にメンターが傍らに存在することは、日本社会や外国人コミュニティにとって必要なことだと感じています。(M.I)

* メンターとは *

Mentor。「助言者」「相談相手」「師匠」を意味します。新入社員や後輩に対し、職務上の相談にとどまらず、人間関係、身の処し方など個人的な問題まで広く相談に乗り、助言を与える人。

出典 『日本の人事部』人事労務用語辞典について

 

医療通訳 · 2017/11/19

I wanna be a・・・

先日家族が入院したため、数日付き添うことになりました。食事は病院内のお店で食べたのですが、驚くほど人間味のないものでした。工場ですべて機械の手で作られ、冷凍され、それが解凍されたと感じました。美味しくないわけではなく、不味いわけでもなかったのですが、暖かみのないうどんをわたしはただ咀嚼しました。家族が病気でこころもとないという状況が、料理の味気無さを増幅させていることは間違いないことです。他方、お店の方達はとても親切で、一般のお店に比べても高齢の客などにとても心を配っていたため、皆さんゆったりと食事の時間を過ごしていらっしゃいました。

このことは通常は電話や機械越しに通訳を行っている私には、大きな戒めとなりました。道具は使う人次第です。緊急の場合、通訳者の少ない言語の場合、低予算を希望する場合は有用であると思います(もちろん通訳がそばにいてよりそいながら医療が進んでいくのが一番よいことでしょうが。)その際、マニュアル通りのこころのこもらない対応を機械越しにするのではなく、対人支援を行っているということを改めて肝に銘じようと思います。(N.I)

 

医療通訳 · 2017/11/06

情熱と冷徹

NAMIの監事を担当しています。

NAMIは12月で設立1周年を迎えます。

設立時の目的「医療保健場面で通訳を必要とする人々の健康と福利に貢献」を永続させたいと願っています。

そのためには、設立時の情熱を持続させる一方で、活動結果・活動計画に対しては冷徹な評価も必要と考えています。

「やらなければならないこと」「やりたいこと」「やれること」が重なった部分から着実に領域を広げていけるよう、自身の業務に取り組んでまいります。(I.O)

 

医療通訳 · 2017/09/28

~医療通訳はどこまで介入すべきか~

医療通訳の勉強を始めてまず徹底的に教えられること、それは医療通訳の倫理です。私は、大学病院で医療通訳活動を現在していますNAMIの会員です。

ご存じのように、医療通訳者は”conduit”(導管)であって、「何も足さない、何も引かない」が大原則です。

ただ、児童虐待や患者さまの命に関わるような事態は別です。でもそれだけではありません。

例えば・・・

生まれて初めて心電図検査やレントゲン検査をうける幼児にとって、あの真っ白く無機質な検査室は怖くて、に入った瞬間から恐怖心で一杯になってしまいます。さらに検査技師さんは小児科のドクターや看護師さんのようにピンクの白衣など着ていませんし、部屋にアンパンマンやミッキーマウスの絵などあるはずもありません。あるのは大きくて不気味な機械やコンピューターばかりです。お子さんによっては本気で怒って泣き出してしまい、全身の力を振り絞って抵抗します。最初は控えめな検査技師さんも必死になるので次第に言葉少なになり最後のほうは無言になってしまいます。そんな状況の中で、通訳の私はティッシュでお子さんの涙と汗を拭いてあげる以外はそばでじっと立っている事しかできません。(その場にいる大人が全員でひとりのお子さんを押さえつけているのですから、汗を拭いてあげられるのは私だけです。)検査後、担当の医師からは「通訳さんから(自発的に)おかあさん

にアドバイスや励ましの言葉をかけて頂けたら良かったかもしれません」と言われました。

採血になると、さらに身体拘束という非常につらい状況になる事もあります。幼児ばかりではありません。精神疾患をお持ちの大人の患者様の採血などは母語でさえもとても大変です。

あなたならどうしますか?自発的に言葉をかけますか?

私も非常に迷いましたが、やはり倫理規定に従いました。テキスト通りの現場だけではないので、通訳はどこまで介入すべきなのかその時々の適切な判断が求められます。しかもどうすべきなのかをじーっと考えている時間的余裕はなく瞬間的に判断することが求められます。これは経験を積んでいくしかない事なのでしょうか。患者さまにとって本当に必要な医療通訳への道のりは長いなと感じています。

NAMI会員 K.S.

 

医療通訳 · 2017/09/02

優れた通訳者

8月5日、6日とNAMIの第1回目の全国大会が開催されました。約130名の方が参加してくださり各分科会、全体会のディスカッションも活発に行われました。医療通訳に関する課題の大きさやそれらを解決していかなければならないNAMIに対する皆様からの期待の高さを感じる二日間でした。

私は、第1日目の分科会2「入門医療通訳演習」(英・中)に参加しました。この分科会は、医療通訳初心者を対象に講義と演習を行い、医療通訳のイメージを把握してもらうことを目的にしたものです。まずは、レクチャー「医療通訳とは?社会で果たす役割」について、NAMI代表理事の森田直美が講師となって、医療通訳の役割についての話がありました。

そのあとに、英語と中国語の言語別ロールプレイ練習が行われました。ロールプレイは、耳鼻科、脳神経外科、小児科のシナリオを用いて、通訳練習を行ってきました。初めてロールプレイ研修を受ける人もいれば、医療通訳実践もたくさんしている人などさまざまなレベルの人が参加していました。

ロールプレイでは、単語や専門用語をどのように訳出していくかということも勉強していきましたが、それだけでなく、通訳者としてどのように行動していくか、通訳倫理や行動規範についての話もありました。英語、中国語を話せるといえども医療通訳者の対象は様々な背景をもっていて、それぞれに使う言葉や表現方法がすこしずつ異なっていることがあり、対象者に合わせた表現方法を通訳に取り入れたりしなければなりません。また、医者など医療従事者が早口で話したり、自分の知らない専門用語が出てきたときにどのように対応していくかについても、通訳者が正確に通訳をしていくために必要な技術であり、きちんと身に付けていかなければなりません。このような問題には通訳倫理や通訳者の行動規範をきちんと理解していくことで、通訳者として現場でどのように対応し、どのような技術を身に付けていけばいいかを知ることができます。

最近は、インバウンド関連で医療通訳をする人が増えてきており、通訳倫理や通訳者の行動規範について知る機会のない人も多くいます。在住外国人対象の医療通訳であっても、インバウンド対象の医療通訳であっても通訳者として身に付けていかなければならないことは同じです。どのような実践場面でも通訳者としての役割やそれに必要な技術を身に付けた優れた通訳者として活躍できるようになっていってもらいたいです。(Nai)

 

医療通訳 · 2017/08/22

「敵が見えない」

外国人医療において、一番の困難は言葉の問題だと思っていました。 だから、良質な医療通訳を配置することで 医療のアクセスを確保できると信じていたのです。 でも、最近、そうでないケースがあまりにも山積みなので だんだんわからなくなってきました。 思えば、以前は闘う相手がはっきりしていました。 「闘う相手」が必ずしも悪いというのではなくて、 法律や制度や通訳というツールやそういうものを駆使すれば 相手と交渉したり解決したり、合意したりできたのです。 相手は、ブラック企業だったり、やくざまがいの派遣会社だったりもあったし、 労働基準監督署だったり、国保の窓口だったり、入国管理局だったりでした。 自分を通訳者という道具として最大限使うことで問題解決の糸口がみつかっていました。

医療現場でもそれに近い状態だったと感じます。 最近では、「言葉」の問題に、「貧困」がからみ そして「家族」が絡んできます。 医療現場で、日本語ができないだけでなく、お金がないだけでなく、 母子が夫から捨てられる、親が子どもをネグレクトする、 認知機能が落ちて判断ができない、遺棄に近い状態もあります。

日本人の困難事例に、帰国という選択肢のない外国人が日本語という壁を抱えて立ち往生。 こうなってくると、医療にアクセスする機会以前の問題なのです。 外国人医療で通訳していると そもそも病院にたどり着くまでが困難であるケースが少なくありません。 誰も悪くない。 患者の過去を批判することは、今やることではない。 だから、闘うべき敵が見えないのです。

(MEDINT便りより加筆修正)

(む)

 

医療通訳 · 2017/07/31

途中で止める

医療通訳者は医師を始め医療従事者の説明が長く続き始めると 途中でとめなければならない、と教えられます。 あまり長くなると前の方を忘れてしまう可能性がある あるいは自分の書いたメモが読めなくて混乱するなどの理由から正確な通訳が望めなくなるからです。自分の能力の及ぶ範囲を知っておき、そこで止まって頂く。そこまでを訳してまた次に進む、この繰り返しです。

あるロールプレイ練習に参加した時のこと。

大腸検査の説明をする場面がありました。

日本文で3,4ページにもおよぶ長い説明をその通訳は一回も止めずにメモを取っていました。まだ行くの?まだ行くの?と全員がはらはらしていたと思います。そして、さあ、どうするのだろうと皆がかたずを飲んで見守る中、この通訳さんは見事にこなされました。すごい!素晴らしかったです。後で聞いてみたところ、この方は看護師さんであり検査プロセスを熟知していますから、とのことでした。

でも少し考えなくてはならない面もあるかもしれません。 看護師の説明が続く中、患者はかやの外。人によっては不安になったり集中力が途切れる方もいるでしょう。途中で待ち切れなくなって質問を挟む人もいてそうするとその対応に追われ 本来の通訳しなければならない部分がおろそかになる可能性もあります。やはりここはたとえ自分が間違いなく通訳できる自信があっても ある程度のところで止まって訳したいと私は思います。患者さんも確認できますし そこでタイミングよく質問も出来ます。もし患者さんの理解の方向性が違っていたら修正も出来ます。

ところで、途中で止まってもらう方法も千差万別です。もうこれ以上は無理、と思ったら医師の説明にかぶせて訳し始めてしまう、それを何回か繰り返すうちに医師のほうでも通訳の能力がわかり、途中で止まってくれるようになる、というやりかた。「先生、あまり長くなると訳せなくなります。ここで通訳の時間をいただけますか?」と断ってから訳すというやりかた。手を挙げて合図をして止まってもらうやり方。 私は新人の頃、途中からかぶせていました。 焦りがあったのだと思います。今ではこのやり方は少し乱暴かなと思い、待ってほしい旨を口頭で伝えるようにしています。しかし人間には話すリズムがありますから 待って欲しいとお願いしたにもかかわらず 「いや、ここだけは喋られてくれ」とおっしゃってご自分の言いたいことを一気に話された医師もいらっしゃいました。そんな時はひたすらメモに徹するしかありません。

最近は医師の中にも通訳を使い慣れてこられた方が出てきました。適当な所で区切って下さり、「じゃあここまで」と言って時間を下さる方、「次も必ず通訳と一緒に来るように」と当てにしてくださる方。

これからますますニーズが高まる医療通訳者がいいパフォーマンスが出来るような環境をユーザー教育の観点からも考えたいです。(Y.Y)

 

医療通訳 · 2017/07/15

一人二役

医療通訳として独り立ちして十年以上の年月が経ちました。

医療という専門性の高いかつ非日常的現場での実践に対して、経験を蓄積しながらも事前準備は欠かせない作業です。

現場において医療通訳は医療者と患者両方の通訳を担当し、所謂「一人二役」を演じます。そのためにコーディネーターから依頼を引き受けると、診療科、病名、受診目的などの情報に基づいて準備し始めるのです。医療知識は様々な情報源を活用して準備することができます。

が、患者という役作りは容易ではなく、殆どぶっつけ本番です。

私の場合、医療機関でMSWを通して患者さんと対面した瞬間から如何に患者役を演じるかの心構えは、患者さんから如何に「安心と信頼」を得るかということです。

安心感:患者さんに「您好」二文字に込められている全力でサポートする通訳の思いが伝わるよう、非言語的表現、例えば笑顔、口調、目線、距離などを大切にしています。

信頼:診察の待ち時間を利用して患者さんの話に耳を傾けること、異国で病を患う不安を抱えている患者さんにとって母語で会話しながらご自身の気持ちを整理し、不安を和らげる場合がありますので、待合室は通訳と患者との信頼関係を構築する大事な場所と考えています。

診察室に入ってから、通訳は脇役となり、主役の医療者と患者さんとの意志疎通の懸け橋となります。医療通訳者が寄り添うのは、医療者だけではなく、患者だけでもなく、私たちは現場のすべての方々に寄り添う

のです。(PS)

 

医療通訳 · 2017/07/03

英語医療通訳の宿命?

先日、ある外国人無料健康相談会で通訳したときのこと。

医師が 「少し血圧高目で太りすぎ」と言ったのを、「少し(a little)血圧が高く少し(a little)太りすぎ」と訳したら、医師 「ア・リトルじゃない」

通訳 「・・・ハ?」

医師 「“少し太りすぎ”じゃなくて、“太りすぎ”!」

つい、ちょっと付け足してしまっていた私・・・いけない、いけない!と反省しましたが、このように、英語通訳は常に医療者に訳をチェックされてます。

医師は少なくとも英語は聞いてわかるので、誤訳をチェックしていただけるのは通訳にとってとてもありがたいことですが、(この通訳者は信頼できるだろうか?)の目安を、(専門用語をきちんと訳せるか?)に置いておられる医師が多いかもしれません。医師は「英語の専門用語」のエキスパートですから。

しかし、専門用語を専門用語のまま訳して患者さんに伝わらなければ、意味がありません。

以前、「穿孔」という言葉をわかりやすいように「穴が開く」と訳したら、(あ~これだから素人はダメなんだ!)と言わんばかりに、「perforation」と言い直し、その専門用語を用いてダダダダダァ~~とご自分で流ちょうに英語で説明された医師がいました。通訳はもう出番ナシです。

患者さんは一般的に、医師と直接コミュニケーションが取れるのは大歓迎ですが、その場では「わかりました」と言いながら、診察室を出てから「さっきドクターは何て言ってたんだっけ・・・」と通訳者に質問してくることがあります。

やはり、患者さんが理解できるということが何よりも大事。しかし、医師の信頼を得ることも同じくらい大事。両方から信頼され、適切で十分な橋渡しができるよう、これからも精進していきたいと思います。(yo)

 

医療通訳 · 2017/06/09

患者来院せず

NPOでラテン系言語の医療通訳スタッフと通訳コーディネーターを始めて10年以上。

派遣システムの中で医療通訳者をやっていると、「患者来院せず」で当日キャンセルに遭遇することがある。約束の時刻通りに現れない患者もいることから、しばらくはそのまま待つ。それでも、来なければ、病院職員が患者の連絡先に電話をする。連絡が取れたところで、「忘れていた」「受診をキャンセルしたが、それが通訳を依頼する窓口に届いていなかった」「帰国してしまっていた」など、来院しなかった理由がわかるのだが、ときに連絡が取れないことがある。お一人暮らしで、病状が重く、生活保護であったりすれば、病院から役所に連絡をとって様子を見てもらうことができる。これまで、これに該当することが3件あり、1件は役所の方が、家に行ったらもぬけの殻・・近所の話から、娘さんがやってきて、全てかたづけて父親を連れて帰国してしまったと推測された。役所での手続きは何もしていなかったので病院まで伝わっていなかった。あとの2件は、役所の方が行かれたところ、お部屋で亡くなられていた。これは、本当にやり切れない。やり切れないが、理由がわかり、もう私たちがこの方たちには必要なくなったのだなと心の始末がつけられる。しかしながら、家族と住んでいて・・という患者さんの場合、ポツンと途切れてしまうことがある。もちろん、役所の人が訪れることもなく、病院もその患者さんを深追いすることはない。病院で受診することはあくまでも患者の意志で、病院が強制するわけにはいかないのだから仕方のないことである。もちろん、通訳者からも強制することはできないことだ。患者の生活に立ち入ることなどもってのほかなので静観するしかないのであるが、「薬をきちんと飲まなければ命に関わる」「手術日が決まっていた」「PTSDの治療の最中だった」「妊婦」などで、病院へ来なくなってしまった患者についてはいつまでも心に残る。帰国したり、よその土地に行ったり、他の病院へ行ったりしたための「来院せず」だったらよいのだがと、時折、なんともいえない不安とともに思い出す。(ya)

 

医療通訳 · 2017/05/18

今思うこと

スペイン語相談員として仕事をはじめて四半世紀。

青年海外協力隊員として3年間過ごしたパラグアイにはまり、帰りたくないと泣きながら日本に帰国したら、1990年の入管法改正で私が南米に行かなくても南米の人たちが日本に来てくれることになった。じゃあ、日本の中の「南米」にはまるのもいいかなあ・・・と軽い気持ちで相談員をはじめて、意外と面白くて今まで続いてきた。職場で「やめてやる~」は何度も叫んだことがあるけど、相談者が嫌いになったことは一度もない。

医療通訳の活動は阪神淡路大震災後、感染症や精神疾患、ストレスによる不定愁訴で相談者が病院に行かなければいけないけれど、言葉の問題でいけないことが何度もあって、私の下手なスペイン語で同行していく中

で、これではまずいなあと思ったし、保険料は取られるのにいざ病院に行こうと思ったら言葉が通じなくて受診できないのはおかしいよと腹がたったから。目の前に病院に行きたくても行けない人がいて、スペイン語ができるのに知らない顔はできないなら、「私が安心して医療通訳できる環境を作ってくれ~、いや作ろう」と思ったのが、この制度化に向けての原点だった気がする。あくまでも誰かのためでなく、自分のためだ。

医療通訳者として、医療通訳環境を整備することは、専門職のソーシャルアクションのひとつ。医療通訳者のことを「わかってくれない」と愚痴るのではなく「わかってもらう」仕組みを一緒に考えてみようと思う。

最初、まわりの医療者はみんな外国人の敵だと思っていた。でも、この活動を通じて、みんな困っているということがわかった気がする。じゃあ、患者や家族の意見はもちろんのこと、医師の意見、看護師の意見、行政の意見があるなら、通訳者の意見もちゃんと伝えておかなくては。だって、実際に動く通訳者にとって動きにくい制度なら、誰もやらないよね。特に優秀な通訳者は。だから、形は変わってもこれからもずっと「ストレスなく医療通訳させてくれ~」って言い続けるんだろうな。

でも、あの頃との違いは、全国に仲間がいることだと思う。

(む)

 

医療通訳 · 2017/05/04

事件はまさに現場で!!

先日、初めて医療通訳を入れる、という病院に行ってきました。

これまで一体どうやって乗り切ってこられたのか? 興味のあるところです。

聞けばiPadを介してテレビ電話形式で行っている、とのことでした。「患者は素人なので一般通訳でよいのではないか、という判断に基づき、医療通訳者への依頼はしてきませんでした。でもやはりそれでは限界があることから、今回新たに医療通訳者の導入を決定しました」と説明して下さいました。

医療通訳者やこれから目指される方々は通訳の訓練はもちろん 医療の勉強も熱心にされています。それは背景知識があれば通訳しやすいからにほかなりません。医師や看護師のような深い知識は必要なくても 広く、浅く、ある診療科の特定の病気というのではなく、様々な病気の内容、医療制度、使える医療補助、薬剤、保険、患者の文化的特徴 などなど背景に持っていたほうがよい知識は数知れず日々勉強の積み重ねですね。常にアンテナを張り、ちょっと耳に入ってきたことも逃さずストックしていきたいものです。

その背景があってこその医療通訳者です。

もう数年前でしたか、動脈管開存症の手術をしたお子さんの術後のフォローアップに医療通訳者としてアテンドしたことがありました。 診察が終わった頃、同席していたソーシャルワーカーが医師にこう質問されました。「先生、このかたに通訳は必要ですか?」医師は英語を話される方でしたので、ソーシャルワーカーとしては少しでも通訳費用を押さえたいという意図もあったのかもしれません。

医師はこう答えられました。「この患者さんは僕に話せないことを通訳さんには話しています。なので、この患者さんには通訳が必要です。」と。ここまで外国人患者に深い理解を示される医師は珍しく 強く印象に残りました。

診察室ってとても緊張するところだと思います。診察室でリラックス出来る方なんてなかなかいないのではないでしょうか?

医師という、大げさに言えばこちらの生殺与奪の権を握っている専門家、 かたや何を言われることかと心配に打ち震えつつ、祈るような気持ちで医師の前に出る素人の患者。その圧倒的な力関係のギャップの上にさらなる言葉の壁。想像以上の不安を抱えて診察室に入る患者さんに少しでも寄り添って受けたい診療が受けられるように 通訳者は心を尽くします。

そのために 診察室に入る前には出来るだけ患者さんと言葉を交わし、信頼関係を構築しておきたい、と思っています。よい関係を築けるかどうかがその日の通訳が満足のいくものになるかどうかの重要な鍵を握っている、と考えています。中にはなかなか打ち解けて頂けない患者さんもいて苦労することもありますが、やはり気持ちはいずれ通じる、と信じて諦めることはしません。

医師の説明が理解できたか? 質問はないのか? 症状ではなく不安な気持ちを聞いてもらいたいのではないか? 言いたいことが言えて納得の診療が受けられたのか? その前に言いたいことを言える雰囲気を作ってあげられたか?

などなど 最初から最後までしっかりと推移を見極めつつ、臨機応変に対処できる医療通訳者になりたいと思っています。

医療通訳の世界においてもICT化が進んでおり、それぞれに利点があるでしょうから、医療通訳者と共に上手に使いこなしていければ理想的です。

ただ、患者に寄り添う医療通訳者を使用するメリットは、機械翻訳やその他のツールを介した通訳の手の及ばないところにあるのではないかと考えま

す。事件はまさに現場で起きているのです。患者さんが醸し出す微妙な雰囲気や変化はそばにいてこそキャッチ出来ますものね。(Y.Y)

 

医療通訳 · 2017/04/01

春に思うこと

4年前のちょうど今頃、甥っ子をなくしました。大学受験が終わり、久しぶりに部活に顔を出し、心肺停止になり救急車で搬送されました。駆けつけた救急隊がAEDを使ってくださったおかげで、若い心臓は鼓動を取り戻しましたが、てんかんと思われて体育館に寝かされていた20分間に脳はダメージを受け、その後意識が戻ることはありませんでした。

生命を維持するために、様々な処置がめまぐるしく施され、その度に家族は呼ばれ、説明を受けるものの、それが死を意味するものなのか、救済なのか、一言も漏らすまいと息を潜めて、あるいは泣きながら先生の話に耳を傾ける毎日でした。

医師の話を聞き、どこまで治療を行うのか、成功の確率はどれくらいあるのか、今日「さよなら」を言わなくて済むのか・・・と狭い部屋に集められた家族全員が緊張しながら、医師の言葉に耳を傾け、決断をしなければなりません。

病院の処置は、完璧でした。でも日本語で聞いていても、治療方針をきちんと理解して、決断をする負担はとても大きいことが分かりました。先生の表情や言葉に一喜一憂しました。もし自分が日本語が全然わからなかったとしたら、どんなだろう、と想像してみました。

医療従事者がバタバタと走り回っていても、何が起きているか分からず、その説明を聞くことも理解することもできない。重症なのか軽症なのか、どのような治療なのか、家族ができることは何かあるのか、自分たちの声は本人に聞こえているのか、苦しくはないのかなど、聞きたいことはたくさんあるはずです。

通訳してもらえるのであれば、要約でなく、話した文章をそのままに語尾まできちんと丁寧に訳してもらいたい、「はい、お願いします。」と言ったのに「OK」とカジュアルに訳して欲しくないなど色々と浮かんできます。

通訳はメッセージを伝えればそれでいい、というものではありません。正確にメッセージを伝えるのは、実は最低限のことなのです。それ以外にも、ニュアンスを伝える、発せられた言葉と同じトーンの言葉を選ぶ、短い呼びかけもそのままに訳してもらいたいと私は思います。できるだけ通訳者の色がつかない、雰囲気が壊れない、通訳しているのにあたかも原発言をそのまま聞いているかのように伝えて欲しいと願います。

そのためには、普段から言葉にこだわること、通訳するときは、最後まで気を抜かない、状況に甘えない、文の最後まで丁寧に訳すなど研修を通して研鑽を積んでいかなければなりません。

今年、全国医療通訳者協会では、全50時間の「CHIP研修」を準備しました。医療とロールプレイを含む通訳練習をセットにした研修です。たくさん通訳練習ができるようなプログラムにしました。月に1回(土・日)、5ヶ月かけて東京で実施します。それ以外にも、単発ですが、ロールプレイ研修をまずは名古屋で5月27日に開催します。

練習の先に待っている人を心に思い描いてみてください。

どうぞ奮ってご参加ください。(nm)

 

医療通訳 · 2017/03/23

女性と子ども

女性のライフイベントにおける出産・育児、そして介護等と、社会活動を通じた「学ぶ喜び」の両立で苦労されている(いた)数多の女性を垣間見てきました。医療通訳の研修の場においても例外ではありません。小さなお子さんの面倒を見てもらえる人がいないため、自己研鑽の機会を失った経験がある方も多いと思います。

研修会に小学生のお子さんを伴って来られる場合があります。お母さんが前方で受講している後方で、お子さんが宿題やドリル、ゲーム(もちろん消音です!)などをしながら、お母さんと一緒の空間にいるという構図です。時には複数のお子さんが一緒になり、講義室の外で一緒に遊ぶこともあります。

親の働く姿を見せるという「子ども参観」という職場体験の前段階に当たるこの風景が、私はとても好きです。お母さんだって学びたい!働きたい!社会に貢献したい!の「見える化」です。

そんな後ろでお母さんの母語であるポルトガル語を勉強していた、日本生まれ日本育ちの子も大学生になり、ブラジル留学やコミュニティ活動に勤しみながら、自分自身の将来を考えるようになりました。

ある派遣団体において二十歳で在住10年の専門学校生のラテン系青年が医療通訳として養成され活躍していました。似て非なるラテン語の妊婦さん担当となり異常分娩だと判明しました。その時彼は、自分は異言語であり子供もおらず経験値も少ない異性なので、妊婦さんと同じ言語の同性の通訳に担当変更を申し出たところ、「あなたを信頼している。異言語であってもあなたに通訳をして欲しい」と言われ嬉しかったと話してくれました。そしてそんなコミュニティの橋渡し役になりたいという希望も持っていましたがIT分野の職種を探そうと思う、と苦しい胸の内を語ってくれました。

日本社会で育った彼らが、十分な日本語を話せない、複雑な社会保健福祉制度が判らない家族やコミュニティの役に立ちたい、日本社会との橋渡し役になりたいという、ごく自然なモチベーションを拠り所とする「医療通訳者」を生業(なりわい)の職業選択の一つとしたい・・・

業として生計を立てられる職種にしていくことも『NAMI(全国医療通訳者会)』のミッションのひとつだと思っています。(m. i.)

 

医療通訳 · 2017/02/19

漢 字

私は母語・中国語と日本語で医療通訳に携わっております。日々の実践を

通じて日本も中国も文字表記のための手段として使う漢字の便利さ、面白さ、時には難しさを思い知らされることが多々あります。

会話1@医療通訳現場

医:漢字を読めますか?

患:はい。

医:通訳がいない時に、紙に漢字を書けば通じるかも知れませんね。

会話2@医療通訳現場

患:この間、通訳さんがいない時に先生から統合失調症という病名を教えてもらったが、中国のウェブサイトで統合失調症という病名は見つかりませんでした。

会話2のケースについて、患者の質問は通訳を介して医療者に確認し、日本語「統合失調症」の中国語訳「精神分裂症」を患者に伝えることができました。

単語帳作りを通して気付いた漢字表記、日本語=中国語、日本語≠中国語、

日本語≒中国語

【日本語】 【中国語】

心臓 心脏

胃 胃

膵臓 胰脏

気管 气管

気管支 支气管

副腎 肾上腺

整形外科 骨科

胃腸炎 肠胃炎

婦人科 妇产科

血液 血液

筆談は工夫の一つ、しかし、日本語≠中国語を意識しないと伝えたつもりで伝わっていないことになりかねないです。

通訳として、漢字の鵜呑みは禁物と常々心掛けております。

漢字は奥深く興味深い文字ですね。(Pa)

 

医療通訳 · 2017/02/04

保健師研修から

K市で新生時訪問や乳幼児健診などの母子保健支援時に通訳派遣をしている関係から、母子保健担当の保健師対象に外国人とのコミュニケーションや通訳を使用する際の注意点についての研修を行いました。

参加されていた保健師さんは、皆さん若く、女子力の高そうな(笑)方ばかりでした。でも、いろいろお話しを聞いてみると、皆さん母子保健支援にとても熱い思いを持っており、外国人等利用者に対してもっと深く支援をしたいと思っているけれども、言葉や文化の問題があり、思うように支援ができない状況もあることが明らかになりました。

保健師さんたちは、健診に来なかった世帯に状況確認のため通訳なしで直接訪問したり(在宅かどうかわからないので通訳予約できないため)、外国語の挨拶を覚えてコミュニケーションを取ろうとしたりして、言葉が通じない状況でも支援を一生懸命行っていることがわかりました。

また、妊娠中の食事や離乳食について日本式の指導でいいのかなど、文化の違いもありどこまでどのように支援や指導をしたらいいかと悩んでいる姿もありました。保健師さんが外国人等利用者に対して満足できる支援を行う

ためには、コミュニケーションをつなげる通訳が必要不可欠なものだといえます。

しかし、新生児訪問や乳幼児健診などの母子保健支援の派遣は全て行っているK市ですが、電話での通訳相談は英語・中国語それぞれ週に2日ずつしかなく、それ以外の日に外国人等利用者が来所したり、保健師さんが緊急で突然訪問をしなければならない時など、通訳対応ができない状況です。現場の保健師さんたちが通訳の必要性を訴えているのですが、なかなか改善されない状況です。

医療保健分野の通訳サービスは患者やクライエントの健康や福利に還元されるために行われるものですが、それを遂行するには対人援助の専門家(医師や看護師、保健師等)が適切な援助を行えるようにすることが必要です。

しかし、医療や保健の現場では、対人援助の専門家が通訳サービスを望んでいても、実現することが難しいのが現状です。対人援助の専門家が望む援助を行えるようにするためにも、現場の専門家の声を国や行政に伝えることも必要だなと感じています。(nai)

 

医療通訳 · 2017/01/17

地域の研修で思ったこと

スキーリゾートを抱えたある地域の医療通訳養成のお手伝いに行きました。目的地に向かう列車の中で、大きなスーツケースの外国人旅行者が大勢いることにびっくり!駅に着いて、観光案内所で道を尋ねていると、そこにも外国人の集団が・・・

これでは、日本語のまったくわからない人がいつ骨折などで搬送されてきてもおかしくないだろう・・・関係者の方々の不安がわかる気がしました。

通訳の必要性は感じても、その通訳が信頼できるかどうかわからない・・・特に、「英語以外の言語は通訳が何をしゃべってるのかまったくわからないので不安」と、ロールプレイ演習に参加された医師の弁。

そうですよね。だからこそ、きちんと訓練を受けた通訳者であるという「証明」が必要になります。でもそれだけで、すぐに「それなら安心だから通訳を使おう!」になるのかな?とちょっと思いました。

「通訳の話してる言葉はわからなくても、きちんと訳してくれているかどうか、患者さんの反応を見てたら大体わかるのよね」

---これは自治体・NPOの医療通訳制度が定着している地域の、ある看護師さんの言葉。

実際に通訳を使っているうちに見分けがつき、訓練された通訳がいる時といない時の差にも敏感になり、訓練された通訳を使おうというモチベーションにつながるのでしょう。

医療現場が実際に通訳をどんどん使うことで、その効果を実感し「信頼」が生まれる。当然のことながら、通訳者も実践の経験を積むことで、初めて「信頼」される通訳に育ちます。

通訳を養成しました、何らかの認定をしました、しかしそこから医療機関側の通訳導入・利用に至るにはあと一歩、何らかの「仕掛け」が必要なのかな~という気がします。

大きな課題の1つが、通訳料の負担でしょうか。冒頭に述べた地域でも、それがネックになっているとのこと。

「ふだんそんなニーズがあるわけじゃないから・・・」 という医療機関の声も。曰く「(在住外国人の患者さんは)大体日本語が通じるし、何とかなってる。」

そこでその地域のネイティブの通訳さんに「そうなの?」と聞いてみました。ボランティアで同行することがあるというその人は、「(患者さんは)わからない言葉はすっ飛ばして、わかったところだけで『わかった』と言ってるんだよ」

旅行者は「目に見えるニーズ」ですが、在住者からの「見えにくいニーズ」を、見えるようにしていくことも課題なのでしょうね。

その医療通訳養成講座に参加された受講者は、皆さん熱心で一生懸命取り組んでおられ、感銘を受けました。また、講座を企画された行政の方々や医療者の皆さんの思いも、ひしひしと伝わってきました。

みんなの思いがうまくつながって、外国人患者さんが安心して受診できるシステムへと発展しますよう! そのために必要なものは?と考えさせられた一日でした。 (yo)

 

医療通訳 · 2017/01/01

新年に思うこと

2017年1月1日です。みなさんは、どのように新年を迎えられましたか?

私は、毎年おせちを作っているので、年末はギリギリまで大忙しで、新年は自分の作ったおせちの品評会です。今年は、黒豆の味付けが薄かったとか、田作りのごまめが苦かったとか。

それはさておき、昨年12月8日におかげさまで、無事に団体を設立することができました。一緒に理事を務めてくれる関西と関東の仲間は、数年前から医療通訳について話し合いを続けてきたメンバーでもあります。「医療通訳も認証制度があるといいよね、あるとしたらこんな形がいいのでは?」「認定試験問題はこんな内容でどうかなあ?」とか「理想的な医療通訳者ってどんな人?」など。

昨今話題によくのぼりますが、実は私たちはもう何年も前から議論をしてきたのです。一緒に時間をかけて医療通訳について話し合ってきたことがこの団体を支える土台となるでしょう。その上に今年はみなさんと一緒にいよいよお家を建てる年です!

ほどほどに美味しいおせちを食べながら、今年はどんなワクワクが待っているだろうと思いを巡らせた1日でした。(Na)

 

医療通訳 · 2016/12/25

大阪会場から

12月10日のミニセミナーに多くの方が参加してくださり、ありがとうございました。

大阪会場では、当日参加も入れて40名の方が参加してくださいました。予想よりも多くの方が参加してくださることになり、急きょ大きな教室に変更いたしました(阪大・小笠原さんありがとうございました)。

当日は、参加者の皆さまと意見交換をすることができ、医療現場で通訳者が様々な問題に直面していることがわかりました。また、参加者の皆さまから全国医療通訳者協会(NAMI)に対してもメッセージをいただき、大きな期待を持ってくださっていることも感じました。

医療通訳の仕事は求められることが多く、大きな責任がある重要な仕事にもかかわらず、通訳者の報酬や安全などが保障されていない、ストレスフルな現場であるといえます。それでも、通訳者は自らの課せられたミッションを全うするために、様々な努力をしています。そのような通訳者がつながり、通訳現場の改善や、通訳者の保障、通訳の必要性を周知することは、とても重要だと思っています。通訳者が声をあげていくことは、通訳者のわがままではなく、患者のため、医療をスムーズに行うために必要なことです。これらは、医療通訳者の医療通訳者による医療通訳者の団体である、全国医療通訳者協会(NAMI)だからこそできることだと思います。

まだまだ準備不足なところもありますが、NAMIが多くの通訳者の方が集い、通訳者にとって自分たちのホームだと感じてもらえる場にしていきたいです。通訳者の皆さん、NAMIをどうぞよろしくお願いします! Nai

 

医療通訳 · 2016/12/20

つぶやき

診察室に入って、医療通訳をするときには当然ながら医師の言葉、患者の言葉に集中するのは当然ですが、医師と患者のやり取りだけでなく、ふとしたつぶやきに注意を払うこともとても大切なんだなあと思わされたことがありました。

精神科に通われていた患者さんは、通訳者が医師の言葉を通訳しても、いつも「何を言っているかわからない」と繰り返し、また、医師の質問に対しても全く関係ないことをどんどん話すか、暗い顔をして黙ってしまったり、ぶつぶつ小さな声で聞き取れないことを言っていたりということが続いていました。この人は、人とコミュニケーションをとるのはもう難しくなっていると誰もが思っていました。

ところが、ある日、通訳者は、ぶつぶつ聞き取れないような声で患者の言っていることを聞き取り、訳しました。患者は、「聞こえない、聞こえないからわからない。聞こえない」とつぶやいていたのです。そこで、医師がもしやと聴力検査をしたところ、難聴だということが発覚、耳元でかなり大きな声を出さねば、聞こえなかったのです。

それから、その申し送りをもらって担当する通訳者たちは、耳元で大きな声で通訳するようになりました。確かに、精神の病気をお持ちの方なのですが、普通にコミュニケーションは取れる方だというのがわかり、医師の質問にもしっかり答えられるようになりました。表情もみるみる明るくなりました。現在、治療もうまくいっています。

あの時、あの通訳者がつぶやきを聞き取ってきちんと訳してくれなかったらと考えると恐ろしくなります。難聴と気づいてもらうまで患者さんはどんなに心細かったことでしょう。(ya)

 

医療通訳 · 2016/12/14

うれしいこと

12/10皆さんのおかげでセミナーは盛況のうちに終わりました。どの会場でもこれからの課題やこの団体の進むべき道がたくさん出されたようで、身を引き締める思いです。セミナーの詳しい報告については、もう少ししたらHPにアップできると思います。

昨日は、とてもうれしいメールを病院関係者の方からいただきました。たまたま、訪問した病院の乳腺外科の先生と外国籍住民の対応の話になったときに、スペイン語系の患者さんを診たときに対応した通訳者のスキルが非常に高く、とてもよかったのでそれを伝えてほしいということでメールしたということでした。言語別学習会などでも、患者だけではなく、医師からも感謝の言葉をいただくと本当にうれしくなるという言葉を聞きます。(感謝の言葉を聞きたくて行っているわけではないですが)

しかしながら、今回、私たちとは全く違った病院関係者同士の話でもそういった話が出ていること、自分が褒められたわけでもないのにとてもうれしかったです。この方は、私よりはずっとお若いのですが、同期で医療通訳者を始めた方なのでなおのことです。ベテランになっても本当にきちんと基本を忠実に守って通訳される方です。私も喜んでいるだけでなく再度初心に戻ってがんばらなくては・・・

コーディネーターをしていると自分が褒められることより、いつのまにか送っている通訳さんたちが褒められるとうれしい・・鼻高々になってしまいます。通訳さんたちの日ごろの切磋琢磨の成果で自分は何もしていないのにです(笑)ya

 

医療通訳 · 2016/12/09

医療通訳者の当事者団体ができました

医療通訳者の当事者団体、ギルドのようなものがあるといいなあと思いながらも、なかなかその設立は実現できずにいたのですが、ついに、一般社団法人全国医療通訳者協会が設立できました。設立できましたといっても、私は後ろからついていっただけなのですが、とても感慨深いです。

設立できてもこれからどういう活動をしていくのかということがとても重要だと思っています。全国の医療通訳者、医療通訳者になりたいと思っている人、そして研究者の方々とつながり、よりよい医療通訳者のあり方を追求していったり、セミナーや研修をしたり、やりたいことはいっぱいありますが、多くの方に会員になっていただき、みんなでこの協会を理想の形にしていければなあと思っています。まずは、明日のミニセミナーです。三か所で同時にやるというのは私にとってとても魅力的です。それと同時に不安もありますが・・

昨日は、心療内科の通訳に行ってきました。そんなに深刻な通訳ではありませんでしたが、やはり、心に澱がたまります。あくまでお中立の立場に立ち「足さない・引かない・変えない」で通訳しますが、いろいろな病院で通訳をしていると、「この患者さんは、この病院ではなくて、あの病院の方がよいかも」などと心の中で思ってしまうこともあります。でも、そんなことはもちろん言えないし、言わないです。そんなちょっとしたことが、心の澱になっていきます。守秘義務があるので、口にも出せないですよね。幸い、私は大きな団体に属しているので、そこでピアカウンセリングなどがあり、心の健康を保っているのですが、そういったピアカウンセリングのようなものもこの団体でできればいいなあと勝手に妄想しています。(ya)